別冊一号(京都地名研究)平成15年10月10日発行 <シンポジウム>「秘められた南山城の地名を探る」 |
平成15年度「公開例会」
京都地名研究会・第6回例会(南部会場)
<シンポジウム> メインテーマ「秘められた南山城の地名を探る」
シンポジウムの冊子 編集後記 から
京都地名研究会の第6回例会は、特別企画による公開シンポジウム「秘められた
南山城の地名を探る」を京田辺市で開催されました。今回のシンポジウムは、南山
城の歴史の謎に迫るべく南山城スペシャルとして神功皇后や継体天皇などの研究者
として最先端を走っておられる堺女子短期大学の塚口義信学長やこの地域を研究し
ておられる京都地名研究会員をパネリストとしておこし頂きそれぞれ専門の分野か
ら報告して頂くことになりました。南山城には、かなり古くから渡来人によって先
進的な文化が伝わり栄えたといわれています。
特に筒木の原や普賢寺谷では、神功皇后や仁徳天皇それに継体天皇などが居住し
ていたといわれ、記紀などに明記されています。また、今まで神話と言われていた大
筒木垂根王や大筒木真若王それに迦邇米雷王などの時代においては、平安時代に作
られた『竹取物語』に「迦具夜比売命(かぐや姫)」がいて実在の皇后であるなど
最近興味ある発表が地元の郷土史会から報告されています。
この冊子は、メインテーマ「秘められた南山城の地名を探る」における基調講演
とシンポジウムのレジュメ及び資料として作成いたしました。編集担当者としては、
当初レジュメのつもりで取りかかったのですが、先生方の熱意により沢山の貴重な
資料をご提供いただき立派な冊子(別冊1号)に仕上げることが出来ました。各先
生方のご協力により貴重な研究資料を提供して頂きましたことを、この場を借りて
お礼申し上げます。
この冊子が南山城地域における歴史解明の為の資料として役立てることが出来れ
ば幸いです。
発刊に際して
京都地名研究会第六回例会 京田辺市郷土史会合同
京都地名研究会代表 吉田金彦
目 次
【シンポジウムの概要】メインテーマ「秘められた南山城の地名を探る」
・・・・・・・・ 1
【基調講演】
テーマ「神功皇后伝説のふる里を探る―南山城の“息長(おきなが)”の地名を手がかりとして―」塚口義信
テーマ「竹取物語ゆかりの筒木について」小泉芳孝
テーマ「南山城の神社と伝承について」石田天祐
【シンポジウム】 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
冒頭コメント テーマ 「つぎねふ山代と河内との関係
− 地名から仁徳・継体の筒城行幸の跡を考える−」 吉田金彦
パネリスト「流域をめぐる史跡・伝承」 斎藤幸雄
シンポジウムの司会「新しい視点と展開に期待」古川
章
【基調講演の内容】
「神功皇后伝説 ―その虚実を探る ― ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5
塚口義信 堺女子短期大学 学長(日本古代史・文化人類学)
神功皇后伝説の研究 『日本大百科全書』 / 歴代天皇の名(皇位継承関係 古事記による)
『古事記』仲哀天皇の段 / 神功皇后の新羅親征 /忍熊王の反逆 / 倭王武の上表文
【図表】○神功皇后伝説 −その虚像を探る−古事記交渉年表・神功皇后関係系図・日子坐王系図関係地図
・・10
(『木津町史』より)・三輪山周辺の古墳群と佐紀楯列古墳群・息長日子坐王系譜氏 鎮懐石伝説・・・・・・13
如意珠 『八幡宇佐宮御託宣集』/ 香椎宮関係記事
・・・・・・・・・・・・・・・15
海神遊幸神話 火遠理命『古事記』 / 日向三大の系譜(天照大御神の系図)
・・・・・・・・・18
本居宣長説 / 長谷川福平説 / 太田亮説 / 折口信夫・西角井正慶説 / 京口元吉説 / 肥後和男説 /
田中 卓説 / 直木幸次郎説 / 岡本堅次郎説 / 黒澤幸三説 / 水野祐説 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・
大野晋 校注『日本書紀上』 / 角川源義説 / 和歌森太郎説 / 上田正昭説 / 林屋辰三郎説 /
今井啓一説 / 梅田義彦説 / 倉塚嘩子説
【参考文献・図表】『風土記』における神功皇后関係記事一覧表・天皇家・蘇我氏関係系図
「王権発達史の伝説」は五世紀初めに存在した『毎日新聞』1981年12月24日夕刊
/ 滋賀県全図 ・・・ 29
大和北部と山城南部の政治勢力 −佐紀楯列古墳群の謎をさぐる−
ヤマト政権の成立と王権の推移 / 中枢勢力の基盤は一貫して奈良盆地南部にあった /
佐紀の政治集団の勢力基盤(木津川・淀川水系の重要性・日子坐王系譜の意味するもの・
佐紀と山城南部・忍熊王の勢力圏)・・・『日本古代史「王権」の最前線』新人物往来社1997年7月
天之日矛伝説の謎を探る ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35
天之日矛の渡来 / 秋山の神と春山の神 / 時じくの香の木の実
○歴代天皇の一覧表 ○『日本書紀』垂仁天皇二年是歳および三年の条
○任那人と新羅人の抗争(井上光貞監訳『日本書紀』中央公論社、による) ○開化系図 ○天之日矛系図
○真人姓氏族の始祖一覧表 ○息長古墳群の図 ○意富富杼王のウジ名
○八幡宇佐宮御託宣集
○『延喜神明名式』田川郡の条 ○古代交通図 ○『興福寺官務血牒疏』所引の「普賢寺補略録」
○朱智天皇神 ○日岡神社・・『播磨国風土記』賀古郡の条、『播磨国風土記』賀古郡比礼墓の条
○麻打山『播磨国風土記』揖保郡の条
応神天皇と気比大神 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・47
『日本書紀』応神天皇即位前の条 『日本古典文学体系』本による
『日本書紀』仲哀天皇即位前の段 『日本古典全集』本による
后紀と御子 / 角鹿の気比大神 / 酒樂の歌
『日本書紀』神功皇后摂政十三年の条
十五歳の「衆議入り」・・『日本の民俗』(熊本)牛島盛光 昭和48年5月
通過儀礼の「成年式」
初期ヤマト政権と四道将軍の伝承 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・51
四道将軍の伝承 / 神武天皇の系図
「王権発達史の伝説」に関する津田左右吉氏の説(『日本古典の研究』上 『津田左右吉全集』第一巻、所収)
井上光貞氏の説(オオビコ=四道)将軍の一人の大彦命、とする説の根拠・・「古代の東国」『万葉集大成』歴史社会篇、所収
稲荷山古墳の鉄剣銘文実測図・・『日本の古代遺跡』埼玉 金井塚良編著、による
ヤマト王権の謎をとく・・『ヤマト王権の謎をとく』塚口義信 学生社1993年より
・・・・・・・・・57
稲荷山古墳の鉄剣銘文
江田船山古墳出土の鉄刀銀象嵌銘(熊本県玉名郡菊水町)・・田中卓氏の訓みによる / 従来の説(福山敏男氏の説による)
【参考資料】『やまと王権の謎をとく』滑w生社から
・・・・・・・・・・・・・・・ 59
神功皇后伝説と息長氏 / むすび / 佐紀西群の勢力圏 / 日子坐王系図 /
継体天皇と山城南部の息長氏 / 初期ヤマト政権と山城南部
【シンポジウムの概要】メインテーマ「秘められた南山城の地名を探る」 ・・・・・・・・ 1
【基調講演】
テーマ「神功皇后伝説のふる里を探る―南山城の“息長(おきなが)”の地名を手がかりとして―」塚口義信
テーマ「竹取物語ゆかりの筒木について」小泉芳孝
テーマ「南山城の神社と伝承について」石田天祐
【シンポジウム】 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
冒頭コメント テーマ 「つぎねふ山代と河内との関係
− 地名から仁徳・継体の筒城行幸の跡を考える−」 吉田金彦
パネリスト「流域をめぐる史跡・伝承」 斎藤幸雄
シンポジウムの司会「新しい視点と展開に期待」古川
章
【基調講演の内容】
「神功皇后伝説 ―その虚実を探る ― ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5
塚口義信 堺女子短期大学 学長(日本古代史・文化人類学)
神功皇后伝説の研究 『日本大百科全書』 / 歴代天皇の名(皇位継承関係 古事記による)
『古事記』仲哀天皇の段 / 神功皇后の新羅親征 /忍熊王の反逆 / 倭王武の上表文
【図表】○神功皇后伝説 −その虚像を探る−古事記交渉年表・神功皇后関係系図・日子坐王系図関係地図
・・10
(『木津町史』より)・三輪山周辺の古墳群と佐紀楯列古墳群・息長日子坐王系譜氏
鎮懐石伝説 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13
如意珠 『八幡宇佐宮御託宣集』/ 香椎宮関係記事
・・・・・・・・・・・・・・・15
海神遊幸神話 火遠理命『古事記』 / 日向三大の系譜(天照大御神の系図)
・・・・・・・・・18
本居宣長説 / 長谷川福平説 / 太田亮説 / 折口信夫・西角井正慶説 / 京口元吉説 / 肥後和男説 /
田中 卓説 / 直木幸次郎説 / 岡本堅次郎説 / 黒澤幸三説 / 水野祐説 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・
大野晋 校注『日本書紀上』 / 角川源義説 / 和歌森太郎説 / 上田正昭説 / 林屋辰三郎説 /
今井啓一説 / 梅田義彦説 / 倉塚嘩子説
【参考文献・図表】『風土記』における神功皇后関係記事一覧表・天皇家・蘇我氏関係系図
「王権発達史の伝説」は五世紀初めに存在した『毎日新聞』1981年12月24日夕刊
/ 滋賀県全図 ・・・ 29
大和北部と山城南部の政治勢力 −佐紀楯列古墳群の謎をさぐる−
ヤマト政権の成立と王権の推移 / 中枢勢力の基盤は一貫して奈良盆地南部にあった /
佐紀の政治集団の勢力基盤(木津川・淀川水系の重要性・日子坐王系譜の意味するもの・
佐紀と山城南部・忍熊王の勢力圏)・・・『日本古代史「王権」の最前線』新人物往来社1997年7月
天之日矛伝説の謎を探る ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35
天之日矛の渡来 / 秋山の神と春山の神 / 時じくの香の木の実
○歴代天皇の一覧表 ○『日本書紀』垂仁天皇二年是歳および三年の条
○任那人と新羅人の抗争(井上光貞監訳『日本書紀』中央公論社、による) ○開化系図 ○天之日矛系図
○真人姓氏族の始祖一覧表 ○息長古墳群の図 ○意富富杼王のウジ名
○八幡宇佐宮御託宣集
○『延喜神明名式』田川郡の条 ○古代交通図 ○『興福寺官務血牒疏』所引の「普賢寺補略録」
○朱智天皇神 ○日岡神社・・『播磨国風土記』賀古郡の条、『播磨国風土記』賀古郡比礼墓の条
○麻打山『播磨国風土記』揖保郡の条
応神天皇と気比大神 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・47
『日本書紀』応神天皇即位前の条 『日本古典文学体系』本による
『日本書紀』仲哀天皇即位前の段 『日本古典全集』本による
后紀と御子 / 角鹿の気比大神 / 酒樂の歌
『日本書紀』神功皇后摂政十三年の条
十五歳の「衆議入り」・・『日本の民俗』(熊本)牛島盛光 昭和48年5月
通過儀礼の「成年式」
初期ヤマト政権と四道将軍の伝承 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・51
四道将軍の伝承 / 神武天皇の系図
「王権発達史の伝説」に関する津田左右吉氏の説(『日本古典の研究』上 『津田左右吉全集』第一巻、所収)
井上光貞氏の説(オオビコ=四道)将軍の一人の大彦命、とする説の根拠・・「古代の東国」『万葉集大成』歴史社会篇、所収
稲荷山古墳の鉄剣銘文実測図・・『日本の古代遺跡』埼玉 金井塚良編著、による
ヤマト王権の謎をとく・・『ヤマト王権の謎をとく』塚口義信 学生社1993年より
・・・・・・・・・57
稲荷山古墳の鉄剣銘文
江田船山古墳出土の鉄刀銀象嵌銘(熊本県玉名郡菊水町)・・田中卓氏の訓みによる / 従来の説(福山敏男氏の説による)
【参考資料】『やまと王権の謎をとく』滑w生社から
・・・・・・・・・・・・・・・ 59
神功皇后伝説と息長氏 / むすび / 佐紀西群の勢力圏 / 日子坐王系図 /
継体天皇と山城南部の息長氏 / 初期ヤマト政権と山城南部
「竹取物語ゆかりの筒木について」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 71
小泉芳孝 京田辺市郷土史会理事 葛椏s放送(日本民俗学 郷土史家)
はじめに
迦具夜(かぐや)比売(ひめの)命(みこと)(かぐや姫)の大筒木(おおつつき)
1.継体天皇の筒城と磐之媛(いわのひめ)の筒木 2.朱智神社と息長氏
3.山代の地名と息長山普賢寺 4.酒屋神社と神功皇后伝承
『竹取物語』の舞台は京田辺 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 78
1.「竹取の翁」の家は、「山もと」の近く
2.『竹取物語』の 「かぐや姫」と『古事記』の「迦具夜比売命」
3.「竹取の翁」の名は、「さかき」で「さか」は酒4.「大住隼人」の呪術と竹細工
5.不死の山は、京田辺の「甘南備山」 6.『竹取物語』の作者は、紀長谷雄
おわりに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 84
【参考文献】『京都新聞』記事から
【参考資料】
『古事記』『日本書紀』の開化・崇神・垂仁天皇関係系図(門脇禎二氏作成のもの)
『山城国綴喜郡筒城郷朱智庄佐賀庄両惣図』』
「南山城の神社と伝承について」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 88
石田天祐 日本語語源研究会 潟Mルガメシュ(幻想創作家 相撲史研究家)
設 問
1. 仁徳天皇の皇后のイハノヒメは・・・なぜ・・・のか
2.武内宿弥の子 葛城襲津疲彦は・・・なぜ・・・のか
3.武内宿弥は・・・五天皇に大臣として仕える・・・なぜ・・・のか
4.倭の五王・・・なぜ・・・のか
取り上げる地名、神社、人物
1.日向の「曽」の峰 2.ソウル。ソボル 3.添御県坐神社 4.押熊八幡宮
5.奈良豆比古神社 6.往馬坐伊古麻都比古神社 7.相楽神社 8.佐牙神社
9.須須許理 10.弓月の君 11.神功皇后 12.多々良公 13.酒屋神社
14.山崎神社 15.武内神社 16.朱智神社 17.田辺廃寺跡
キーフレーズ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 89
1.ARA 2.集落 3.添
結 論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 90
【参考資料】 『イザナミの言語学』潟Mルガメシュ出版局から
朱智神社 / 佐牙神社の京都相撲 / 酒のことはじめ
【シンポジウム冒頭コメント】
つぎねふ山代と河内との関係 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
95
− 地名から仁徳・継体の筒城行幸の跡を考える−
吉田金彦 日本語語源研究会代表 姫路独協大学名誉教授
迷走した枕詞の諸説 / 山代と開木代の意味
/ 山背の意味と語源
ツギネフは嶺の後ろ側を通る意味 / 筒城の語源と変化
宇頭城という地名 / 継体天皇の筒城遷都と樟葉宮の位置
【参考資料】つぎねふ又つぎねふや『枕詞の研究と釈義』
/ つぎねふ『国語大辞典上代編』 / ・・ 107
都藝泥布『古事記』下巻 / つぎねふ『古代歌謡全注釈』石之日売皇后の嫉妬 /
つぎねふ『日本書紀 巻十一 仁徳天皇三十年』
/
筒木の原『和名抄』『万葉集』『玉吟集』
/ 筒木の宮『古事記』『日本書紀』
パネリスト
流域を巡る史跡・伝承 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
116
斎藤幸雄 −緑と教育と文化財を守る会(城陽市)副会長、枚方文学の会会員
1.南山城逃避行現象
大友皇子異説 / 葛城王朝亡命政権(彦坐王異説) / 継体天皇は / 大山守皇子の場合
2.「水」を視点に ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
117
神功皇后伝説(息長伝承)/ ワニ氏の伝承 / 船長伝承 / 武埴安彦伝承 / 亀石伝説
(参考図面)「古代天皇・和珥氏・息長氏等関係系譜」
【参考資料】『木津川歴史散歩−南山城をめぐる』(梶jかもがわ出版から ・・・・・・・・
122
継体天皇旧跡−筒城宮跡@(田辺)
/ 磐之媛旧跡A(田辺) / 飯岡・甘南備寺(田辺)
会 則 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
132
「京都地名研究会」設立の趣旨 代表理事 吉田金彦 ・・・・・・・・・ 133
「京都地名研究会」発足にあたって 設立総会挨拶から 代表理事 吉田金彦
「京都地名研究会」役員
入会・問合せ先
『会報』原稿応募要領
編集後記 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
136
別冊1号(京都地名研究会) シンポジウム 「秘められた南山城の地名を探る」 平成15年10月 1日印刷 平成15年10月10日発行 発行 京都地名研究会 編集 京都地名研究会常任理事 小泉芳孝 編集協力 京田辺市郷土史会 |
■冊子の販売について
この冊子は、メインテーマ「秘められた南山城の
地名を探る」における基調講演とシンポジウムのレ
ジュメ及び資料(A4サイズ 134ページ)として
作成いたしました。編集担当者としては、当初レジ
ュメのつもりで取りかかったのですが、先生方の熱
意により沢山の貴重な資料をご提供いただきました
ので別冊1号として仕上げることにしました。各先
生方のご協力により貴重な研究資料を提供して頂き
ましたことを、この場を借りてお礼申し上げます。
この冊子が南山城地域における歴史解明の為の資
料として役立てることが出来れば幸いです。
なお、この冊子の作成にあたっては、編集者個人
の費用で作成しました。
このため書店では販売されていません。このたび
この冊子をほしいという方が多数ありましたので、
郵便振された方にのみ残部を郵送で特別にお送りす
ることにしました。
この冊子は、関係者の間で3000円の価値があ
ると言われています。また、この分野を研究されて
いる方にとっては、9000円の価値があるとも言
われています。
申し訳ありませんが、先着順とさせて頂きますの
で下記をお読みになってお手続き下さい。
※上記の本を注文された沢山の全国の方からお礼のメールや手紙を沢山頂いています。
その中から前橋市の女性から下記の丁重な絵葉書を頂きました。
「前略 早速地図を片手に読ませて頂きました。年4・5回古都の遺跡を歩きに行きますが山城は恭仁京や大塚山古墳あたりまでしかいったことが無く、こんなに大切な「ウチ」「息長」「筒木」があった・・・と驚いてしまいました。現在の府県の境界で全く見えない部分があったこと反省しきりです。竹取物語もなるほどです。皆様の益々のご活躍をいのります。早々
※全く上記の通りです。歴史教科書などには一切掲載されていませんので、本で勉強された学者の先生方も一部を除いてこの地域の歴史を全く知らないのです。ですから地元の教育委員会ですらそんな物は、架空のものであって神話だという始末です・・・。ある人から聞いたのですが、地元京田辺市役所の広報課に「この地域に竹取物語の話がある」というのを聞きつけて遠くから訪ねてこられた方に対して「あれは一部の人が言っていることで関係ないのです」と話されたていたということです・・・。たとえ古事記に記されていても一切事実でないとおっしゃるのです。古事記を読みその地域に当てはめて古文書などの歴史を誰かが書いたのだ・・・とも言われたりしています。わたしは、全く逆でこの地域にそのような歴史があったから代々住んでいる人達が話し伝えてきたものだと見ています。
古事記は、「古き事(史実)を記した」日本最古の歴史書です。
古事記という一番古い歴史書に記されているのに、何故か教科書に載っていることだけが歴史だと教えられて来たのだからです。古事記は、本当に嘘ばかり記されているのでしょうか。もしそうであるなら古事記以後の全ての古文書類も全て嘘と言わねばなりません。
この地域をくまなく歩いておられる京都地名研究会代表理事 吉田金彦氏(京都大学文学部卒業。専攻:国語国文学。京都府立女子短大教授、大阪外国語大学教授、日本語語源研究会代表 姫路独協大学名誉教授)は、学者の皆はそんな細かいところまで勉強していては学者になれないし面倒だから調べないのだとおっしゃっています。
タイトル 別冊<シンポジウム>「秘められた南山城の地名を探る」
発行 平成15年10月19日
■上記のシンポジウム資料(レジュメ兼資料)を、
一冊2000円(本代+郵送料+封筒込み)にて残部を特別販売することにしました。
1300円(本代+郵送料+封筒込み)にて残部をお送りすることに致します。
下記の郵便振込 講座番号にお送りくださった方には、特別割引の1300円でお送りさせて頂きます。
==== 切取り線 ============ 切取り線 ====
先着順です、売り切れの時はお許し下さい。
名 前
郵便番号
住 所
電話番号 FAX番号
Eーmail
メールで事前希望者のみ、一冊2000円のところを特別割引1300円(本代+
郵送料+封筒込み)でお送りいたします。下記の郵便振込 講座番号へお送りください。
『郵便振込』 講座番号 00920-7-40389
加入社名 小泉芳孝
通信欄 別冊 シンポ資料冊子 希望
なお発送は、上記が当方に到着しだい発送させて頂きます。
【基調講演の内容】
テーマ 「神功皇后伝説のふる里を探る ―南山城の"息長(おきなが)"の地名を手がかりとして―」 塚口義信
古事記や日本書紀それに風土記などに記されている神功皇后伝説や息長氏、あるいは応神天皇や継体天皇などの古代天皇を研究している塚口義信氏から「古代山城南部の歴史」、特に「南山城の"息長"一族」についてお話ししていただく。塚口氏によると、神功皇后の系譜や伝承は、滋賀県坂田郡の息長氏が有力になる6世紀以前から山城南部の"息長"一族によって伝承されてきたものであり、この一族は息長帯比売の陵墓伝承のある、大和三大古墳群の一つとして有名な佐紀古墳群と深い関わりを有しているという。京田辺市にある普賢寺の山号は息長山であり、朱智神社の祭神「山代之大筒木真若王」(「山代」「筒木」に由来する名前)をはじめ神功皇后の系譜に山城南部の地名に由来する名が多く登場する。これは、山城南部の"息長"一族がこの伝承を語り伝えてきたからであり、6世紀初頭に継体天皇が筒城宮に来たのも、この一族と近江坂田郡の息長氏が継体を支援していたからである。
"息長""綴喜""高木""綺田(かばた)"などをはじめとする南山城の地名を手がかりに、神功・応神伝承の謎を解き明かすとともに、4〜6世紀における山城南部の政治集団とヤマト政権(畿内政権)との関わりについて考察していただく。
塚口氏紹介−堺女子短期大学 学長、文学博士。1946年大阪府生まれ。専攻:日本古代史・文化人類学。関西大学第一高等学校・第一中学校教諭、関西大学講師など歴任。主な著書『神功皇后伝説の研究』(創元社)『ヤマト王権の謎をとく』(学生社)『古代王朝をめぐる謎』(学生社)『三輪山の古代史』(学生社)『三輪山の神々』(学生社)『古代天皇のすべて』(新人物往来社)など。
テーマ 「竹取物語ゆかりの筒木について」 小泉芳孝
京都と奈良の中間に位置する京田辺市は、かつて継体天皇の「筒城宮」があった所である。ここは近年、『竹取物語』ゆかりの地とされ『古事記』に記されている「かぐや姫」の父親である大筒木乗根王の名が地元の古文書に記されている。
竹取の翁は、「さかきの造」で「山もと近くなり」とあり、神に仕えていた豪族で「山本の近くに」住んでいたと考えられる。この山本は、『続日本紀』に記されている古代駅制の古山陰・古山陽道の「山本駅」と推定される。近年この山本駅があったとされる三山木駅前の発掘調査で駅に関連した建物跡が出土した。この近くには、日本三大澤の池である「鶴沢の池」があり、鶴が舞い降りていた所から付けられたと言われていて羽衣伝説地と考えられる。そしてこの地より北方にある大住には、南九州から来た天孫降臨に通じる隼人舞や竹細工の技術を持つ大隈隼人が住んでいた所である。ここには延喜式内月読神社がある。
『竹取物語』は、平安時代の初めに作られた物とされている。前記の山本や大住から望むことのできる甘南備山は神が降臨した地とされ、平安京の朱雀大路を決めるのに京都市の船岡山と甘南備山を基点にしたと言われている。『竹取物語』のラストシーン「不死の山」は、駿河の富士山とされているが、むしろ物語が出来た時に平安京の基点とされた京田辺市の甘南備山を想定したと考えられる。この他「かぐや姫」の名前や壬申の乱に関係した五人の貴公子など京田辺市の関係についても述べられた。
小泉氏紹介−京田辺市郷土史会理事、葛椏s放送勤務。1947年京都府生まれ。近畿大学法学部法律学科卒業、佛教大学文学部史学科卒業、専攻:日本民俗学・郷土史。京都民俗学談話会会員、京都府立山城郷土資料館友の会。主な著書『稲作民俗の源流−日本インドネシア』(文理閣)。主な投稿『竹取物語"かぐや姫の里"京田辺』京田辺市郷土史会編・『京都民俗』京都民俗学談話会会誌・『筒城』京田辺市郷土史会報など。
テーマ 「南山城の神社と伝承について」 石田天祐
私は、南山城に関する記紀神話や万葉集それに祭神など言語学の分野から迫ってみる。現代の山城における地名は、古代日本語・やまとことば・中国語・古代朝鮮語・満州語などあらゆる分野の言語から分析しないと解明できない。各地の地名や人名それに祭神などについては、派生語や母音交替形・同音同義などから言語や語根を解読していかなければならない。
それらの中から南山城における各種神社の伝承について地名や祭神がどのようにかかわっていたのかお話しする。特に継体天皇や仁徳天皇と渡来人との関係や、歴史上は神話とされている神社の祭神など言語学から見た南山城の歴史を述べる。この地域は、歴史上かなり古くから栄えていたところであり一般の歴史書には記されていない。しかしここには古くから南方や中国大陸それに朝鮮半島から渡来人が住み着き神功皇后や息長足姫に関係する地名や伝承が残っている。
石田氏紹介−潟Mルガメシュ代表。1943年静岡県生まれ。京都大学文学部言語学科卒業、同大学院修士課程終了。相撲史研究家・幻想創作家。日本語源研究会・総合文芸誌「まほろば」編集長。著書『イグドラシルの言語学 −やまとことばの源流を尋ねて』『義留我(ぎるが)明主(めしゅ)の言語学 −続やまとことばの源流を尋ねて』(ギルガメシュ出版)・『忽然の人』(ギルガメシュ出版)・『マルドゥクの怒り』(ギルガメシュ出版)・小説集『風と馬と』(現代企画室)など。
【シンポジウム冒頭コメント】
テーマ 「山城地名の特色」 吉田金彦
古い地名はその起源のはっきりしないものが多いのであるが、『記紀』や『風土記』にかかれ、『万葉集』に歌われた古代地名が、今日もそのまま残っている土地も少なくない。古い土地は、長い間の歴史を経ているから、当然色々の変遷がある。また、人間の記憶や過去への回想は、往々に歴史的事実や言語的な科学性から飛躍することもしばしば起こるので、本当のことはなかなか分からない。しかし日本の国土の平和な発展をねがい、日本語と日本文化の起源を知るには、地名への関心が一つの大きな意味を持っている。文献の記録をもとに、土地の伝承に耳を傾け、南山城の古代地名を明らかにしたい。
吉田氏紹介−日本語語源研究会代表、京都地名研究会代表。1923年香川県生まれ。京都大学文学部卒業。専攻:国語国文学。京都府立女子短大教授、大阪外国語大学教授、姫路独協大学名誉教授。著書:『日本語語源学の方法』(大修館)、『古代日本語をさぐる』(角川書店)、『古代日本語を歩く』(弘文堂)、『京都・滋賀 古代地名を歩く』(京都新聞社)など。
パネリスト 「流域をめぐる史跡・伝承」 斎藤幸雄
木津川をめぐる歴史や文学(古代〜近代)にこだわり、ロマンを求めてその伝承や史跡を探訪してきた。そういう中で多くの「南山城逃避行」現象を見いだした(古代より近世の徳川家康・熊沢蕃山にいたる)。磐之媛などもその一人である。市辺押磐皇子の遺児顕宗・仁賢天皇もそうだが、継体天皇もその視点で見ると面白いのではと思ったりしている。
また古伝承を、「水」を視点にしてとらえてみるのもその謎を探るうえで面白い。田辺の神功皇后不違池伝説、精華町の船長(ふなおき)伝説、山代大国之淵の娘綺(かに)戸辺(はたとべ)にまつわる亀石伝説、武埴安彦・忍熊王・莵道稚郎子等々。その背後に水系氏族の息長氏・和珥氏が介在、葛城氏や丹波の氏族もかかわる。
専門研究家ではないので、南山城の歴史ロマンを楽しむ立場からシンポシウムに参加できたらと思っている。
斎藤氏紹介−緑と教育と文化財を守る会(城陽市)副会長、枚方文学の会会員、1937年旧満州国生まれ。京都教育大学第二社会学科卒業、大阪府公立中学・高校に在職した。専攻:日本中世史(平家物語)、著書:『木津川歴史散歩』(かもがわ選書)、『続・木津川歴史散歩』(かもがわ選書)、『やましろ歴史探訪』(かもがわ出版)。枚方文学の会会誌『法螺』に「木津川歴史散歩」を連載(今は宇治川に視点を移している)。また古典文学を読む三つのサークルに所属し、平家物語や太平記を読み続けている。
シンポジウムの司会 古川 章
洛南艸舎文庫『洛南艸舎手づくり消息』を主宰し、第43号を数える。京田辺市役所で37年勤務し、今まで『京都府田辺町史』『田辺町郷土史社寺編』『田辺町近代誌』『田辺町近世近代資料集』の刊行。京田辺市郷土史会の『筒城』などの編纂や事務局を担当した。
今回シンポジウムの司会を担当することになり郷土史の素晴らしい歴史を各分野の専門の先生方や郷土史家の方たちと共に研究できることを嬉しく思っている。
「新しい視点と展開に期待」
南山城地方は、近畿の中心地であり、加えて関西学術研究都市として20世紀は脚光を浴びた。そのため開発も著しく進み、考古学の分野や市町村史誌の刊行による古文書類の発掘なども進んだ。しかし、21世紀は、大陸からの渡来人の足跡など、黒潮文化の解明を深めなければならないと思われる。こうしたとき「秘められた南山城の地名を探る」は、自宣を得たテーマといえる。
バネラーの諸先生方の新しい視点として南山城のこれまでの南北軸文化に加えて、東西軸文化の幕開けにふさわしいシンポジウムであろう。
古川氏紹介−洛南艸舎文庫主宰。1937年京都府生まれ。立命館大学文学部卒業、専攻:日本文学。歌人・エッセイスト。主な著書『田辺郷土史なんやかんや』『南やましろの綴喜』共書、『京のかくれ話』(同朋舎)。
京都地名研究会役員
【顧問】池田末則・上田正昭・梅原猛・沢潔・谷川健一・中西進・森浩一
【代表理事】吉田金彦
【理事】池田碩・井上満郎・上谷正男・片平博文・金坂清則・加畑昭・芝野康之・杉本利一・高橋聡子・
田上源・谷口隆捷・寺田敬・西尾寿一・藤田昌志・古川章・前田徹・山口富蔵
【常任理事】池田哲郎・石田天佑・糸井通浩・井上千恵子・梅山秀幸・小泉芳孝・小林淳夫・角菊彦・綱本逸雄
入会・問合せ先 ○京都地名研究会事務局
〒617-0002 京都府向日市寺戸町二枚田12-46 綱本逸雄方
Tel&Fax 075-933-5667 E−mail:nimaida@nifty.com
○日本語語源研究所
〒600-8429 京都府京都市下京区御供石町360
当会代表理事 吉田金彦(方)Tell&Fax
075-361-8812
○ 京都地名研究会常任理事(広報担当)小泉芳孝
〒610−0313 京都府京田辺市三山木直田10 TEL・FAX・留守録 0774−62−2522
京都地名研究会HP http://chimei.hp.infoseek.co.jp/
HP担当 kyotochimei@msn.com 広報係 小泉芳孝
○京田辺市郷土史会 会長 :藤本富雄 Tel&Fax 0774−62−1277
(お問合せ)京田辺市社会教育課 (0774-62-9550)
●会費 年額3千円(正会員)。賛助会員1口5千円、家族会員1千円。
郵便振替口座番号:00910-1-160705 加入者名/京都地名研究会
●会報発行(年1回) 毎年4月発行(総会で配布)研究発表・研究論文など、原稿締め切り2月末
「通信」会員向けニュースレター (例会前に発行or3回) *「通信」題名の愛称募集
●発表者募集要項
1.例会発表の題と発表要旨を事前に事務局に提出。
2.テーマは、地名に関するもので自由。
3.「会報」掲載論文は、1ページ1600字。
@A4で2ページまで文字のみは、費用の負担なし。A3ページ以上もしくは、写真・表の掲載は、実費自己負担。この場合文字・写真・表含め10ページ以内。
「京都地名研究会」設立の主旨
京都地名研究会
地名は固有名詞であり、普通名詞という二重性を持っている。
地名は、土地に関わりを持つ人たちの、様子を知ることが出来る。つまり、土地に付けられた名前であり、土地との関わりをもつ人達の固有の名前です。また、土地の関係を物語る媒介物である。
地名の研究については、今まで歴史学、地理学、民俗学、国文学など、色々な分野から研究がなされています。この地名が新しい住宅開発などによって現在消滅の危機に瀕しています。全国の大字および小字の地名が、消え去っています。
明治維新のときの廃仏棄釈にも匹敵すると言う学者の先生もいます。これら地名消滅の危機からすくうためにも、地名への強い関心を喚び起こす必要があります。最近、市町村合併の動きが出ていて、市町村の地名が焼失してしまいそうです。
色々な知恵を出し合って祖先から伝わっている地名を残すように工夫して頂きたいものです。そうでないと一度なくなった地名は、二度と復活することがなく忘れ去られる運命になるからです。
合併により市町村名や地域の個性や地域性が薄れて、愛着がなくなるという懸念があります。合併により名前が一部なくなるので、この機会に地域の歴史や伝統文化などを貴重な資源としての活用を図り、住民自らが主体となって魅力あるまちづくりを進めねばなりません。 平成14年3月1日
京都地名研究会発足にあたって
「京都地名研究会」設立総会挨拶から 平成14年4月28日(日)
代表理事 吉田金彦
新緑の良い季節を迎え、皆様、益々ご健勝の程、お喜び申し上げます。
本日はここに、京都地名研究会発足に当たり、御用も多々御ありの中を、態々ご来会賜りまして、誠に有難うございます。各地の先輩各位や、府下内外の多くの有志のご声援によりまして、漸く、会の出発できます事は、この上ない喜びであり、幸せな事として、同慶の念で一杯であります。
京都地名研究会なるものは、実は、今から十五年前の昭和六十二年に一度、設立された事がありました。その提唱者は京都市の郷土史家松本利治翁で、研究会もその六月に発足したのでしたが、氏は大作「京都市町名変遷史」の研究に取り組んでおられ、暫くの研究会も、氏の逝去と共に続かなくなりました。私共の非力から、氏の後を継続できなかった事は、とても残念な事でしたが、しかし十五年後の今日、振り返ってみて、その間が失われた空しい時間だったとも、思われません。開設五年の語源研究会で忙しくしていた私の研究内容は、その当時結構、地名がテーマになってもおりました。
昨年十月に川崎市で全国地名研究者大会、同じく十一月に京都で日本語語源研究会、共に創立二十周年を迎えて、それぞれに記念の大会が開催されました。同時スタート兄弟学会のような関係でもありましたから、全国地名を主宰なさる民俗学の谷川健一所長を迎えての語源大会は、大いに盛り上がりました。その折に谷川氏の強い要請がありまして、矢張り、京都にも地名の学会を、と言う声が燃え上がったしだいです。京都地名研究会の名が、ここに再び復活することになったわけで、思えば、谷川氏の激励の賜物だったと、厚く感謝しております。
語源研究者の中にも沢山の地名研究者が居られる。京都には大学人も多いし、歴史や地理の話題には事欠かない。京都府下一円を中心に、及ぶところ遍く広く、府市町村民挙って集まり、地名のことを勉強しようと言う事になりました。
地名は、其処に人が住んでいます。人が住み、暮らし、生産したり、遊んだり、そして死んでゆく所です。そんな大地に名付けして、地名を日常茶飯事に使っています。ですから、地名の主人公は住民です。私共は、すっかり慣れっこになって、ややもすると無限の恩恵を受けている大地を忘れがちな様に、此れ無しに暮らせない必需の地名の大切さを、忘れていませんか。主人公が呼んだ今までの名前を、いい加減にしていませんか、など反省しますと、地名の研究はとても深く、根本的に重要な事だ、そして同時に厄介な事だ、と考えられてきます。
地名は大地に刻まれた歴史だ、とよく言われます。それ程重要なのに、スローガンほど地名学が、現代日本の科学の中で、確固たる地歩を占めてはいません。重要性は認知していても、学問体系に沿わない為か、これを正面から取り上げる人が、きわめて少ないのです。地名研究は従来、地理学や歴史学、その他諸学の関連的研究として、また熱心な郷土史家達の努力によって、行われてきました。その成果は、今日、大きな地名辞典として幾つか出来ていますが、今の日本の大学に、地名大学や、地名学部・地名学科など聞いた事がありません。国際交流とか、学際研究とか、総合研究とか、色々に叫ばれてはいますものの、地名に着眼し、そこを基点に発信する着想は、まだ無いようです。
ただ嬉しい事は、近年、その閉塞状態を打開しようとして、環境学とか、地域学とか、そういう名で呼ばれる提唱が、あちこちで起こってきた事です。もう従来の学問の方法論では駄目だ、と言う事に気づいたのでありましょう。そして、私の立場から、口幅ったい事を言わせていただけるなら、更にもう一歩踏み込んで、それら環境学なり、地域学なりに、地名という言葉の視点を重視して、それを是非加えて欲しいと言う事です。言葉の視点から、歴史を見る、地理を見る、と言う事で、歴史や地理の真相に迫れる事が、案外に多いのではないでしょうか。専門の歴史や地理学者が、地名については誠に幼稚な意見であったり、誤解をしている例が少なくないのを見るに付け、遺憾に思うことがしばしばです。此れの責任は、現時点であえて言えば、国語学や言語学に於ける地名分野の研究の欠落にありと言えましょう。
以上のような反省に立って、諸学手を繋いで、同じ目線で等距離に、地名を対象として調査・研究し、その過程と成果を公表・普及させ、学習・教育にも応用してゆきたいと、考えます。
地名研究は、まず自分の足元から。そして、歩いていく先々の地名まで。懐かしい故郷の地名、旅先で見つけた珍しい地名、変わった名前や読めない漢字の地名など、ぐるりにある地名の謎に、挑戦してみましょう。そこから、きっと新しい知識が開け、ゆとりのある心が育まれていくと、思います。
地名は、寺社が文化財であるのと同じに、貴重な文化財です。日本の地名は、日本人の心のこもった<心的文化財>であります。大小に関わらず、有名無名に関わらず、どこの地名もみな文化遺産です。ですから、これの取り扱いには良く勉強して、取り掛かりましょう。その為にも、データを保存し活用する施設、地名資料館と言うようなものが、京都府には当然、必要になりましょう。
京都における地名研究は、ソフト面でもハード面でも、あらゆる分野にわたる重要な意義がありますが、全てこれからです。意義有る本日の発会に、ご来駕賜りました来賓、メッセージを頂きました各位、ご多用中をお集まりいただいた会場の皆様に、篤く感謝申し上げ、今後とも宜しくお願い申し上げます。 平成14年4月28日(日)
京都地名研究会 kyoto chimei kenkyukai
広報係 小泉芳孝
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