「都藝泥布」 第6号  京都地名研究会の通信誌の第6号
  (読み「つぎねふ」は「山城」の枕詞)                    

                              
京都地名研究会
     第
5
回例会 京都産業大学で行われる

 720日(日)、第5回例会が開かれた。本会理事の池田哲郎氏の肝煎りで、会場をはじめて京都の北山に移して行われた。今年は出梅が遅かったものの、当日は晴天で街中はうだるような暑さであったが、さすがに神山の麓は涼やかで、多数の参加者があった。小林一彦京産大教授「京都の地名と校歌」、そして所功京産大教授・日本文化研究所所長「葛城カモと山代カモの関係」の二つの発表があったが、その前に京産大図書館所蔵の「賀茂祭行粧絵巻」「賀茂競馬絵巻」「異形賀茂祭図巻」など賀茂社関係の絵巻物を所教授の解説つきで特別に拝観させていただくことができたことは、会として望外の喜びであった。

 (賀茂社関係の絵巻を説明する所教授)

  地名を歌いこんでいた

    かつての校歌(小林一彦氏)

 小林氏によると、小学校の校歌というのは、成年となってもなかなか忘れないものなのだそうである。それだけ、子どものころに歌いこみ、慣れ親しんだものだといえるが、  (小林一彦教授)

その校歌はかつては必ずといってよいほど歌詞の中に地名を歌いこんでいた。「賀茂の流れを 軒にきき 比叡の高嶺を 窓に見る」(上賀茂小学校)、「紙屋の川の水清く」(鷹峰小学校)、「朝日輝く 比叡のね」「清く流るる 高野川」(松ヶ崎小学校)など、山紫水明の地である京都の校歌の特徴は地名にあるといってよいが、地名を歌いこむのは全国的な傾向であった。しかし、高度経済成長期から、地名を歌わない校歌が生れてくる。「未来」「宇宙」「平和」などという言葉を織り込んで、土地への思いが希薄になっていく。作詞家たちも国文学者たちから詩人へと変わり、さらに最近ではシンガーソングライターが登場することになる。その中で、小椋佳は地名をたくみに織り込んだ校歌の作詞家であった。高層ビルが立ち並んで展望のきかない市街地で、通りの名を盛んに使って、子どもたちに土地への愛情を育ませた。しかし、20034月に開校した御池中学のための小椋佳作の校歌は、設立推進委員会の強い意向によって、皮肉なことに地名を織り込まないものとなったという。

  地祇としての葛城カモと

天神としての山代カモ(所功氏)

 賀茂(カモ)川は雲(クモ)が畑から流れてくる。Kamoは、カミ(神)・クマ(隈)・コモ(籠)などと共通する言葉が母音変化したものであるとすれば、カミを祭るカモの地は、人里より奥深いカミの隠れ籠るにふさわしい所なら、全国どこにあってもよいことになる。この地名を氏の名とする氏カモ氏が古来強大な勢力をもっていた地域は奈良県の葛城山麓と京都市の鴨川上流である。しかし、葛城のカモ氏は『新撰姓氏録』などによれば、コトシロヌシやアヂスキタカヒコネの後裔で地祇(クニツカミ)の系統であるのに対して、山城のカモ氏は天神魂命の後裔で、天神(アマツカミ)系である。近畿地方にもとからいた土着勢力が奉じた神が地祇であり、九州から近畿へと進出してきた大和朝廷とその随伴者の勢力が奉じる神が天神であることになるが、所氏は『山城国風土記逸文』の賀茂建津角身命が神武東征に先導役を果たした後、葛城山に行き、さらに山城へと移ったという記事を重視し、九州から来たカモ一族が、一旦は葛城の在来のカモ族のもとで過ごし、それから山城へと移動していったのだというのである。

理事会懇親会を開く

 96日、京都地名研究会の理事会懇親会が中京区・バートンホテル京都で開かれ、17名が参加、会の今後のあり方などについて要望が出され、なごやかに懇談した。常任理事は吉田金彦代表ほか9名、顧問の池田末則氏、理事は金坂清則、井上満郎氏ら6名が出席した。綱本逸雄事務局長が今年度の事業計画などを報告。理事らから、「地名が文化財として認識される活動はすばらしい」「地名博物館構想に期待したい」「共同研究のプロジェクトチームが必要だ」などの活発な意見が出された。

【研究会の規模が大きくなり、活動が活発になっていくのは、大変に喜ばしいことなのですが、実はそれにともない、仕事量も倍増しています。理事として仕事を分担していただける方を探しています。自薦・他薦を問いません。よろしくお願いします】

【第6回例会会場案内図】

 【第6回例会基調講演の内容】

塚口義信

「神功皇后伝説のふる里を探るー南山城の“息長”の地名を手がかりとしてー」

 神功皇后の系譜と物語は、滋賀県坂田郡の息長氏が有力となる6世紀以前から山城南部“息長”一族が伝承してきたものではないのか。この一族は大和の佐紀古墳群と深い関わりをもっていたものと思われるが、京田辺市の普賢寺の山号は息長山であり、「山代之大筒木真若王」など、神功皇后の系譜に南山城に関係する名前の人物が登場する。6世紀初頭に継体天皇が筒城宮に来たのも、この地域の息長氏の支援を期待したからである。“息長”“綴喜”“高木”“綺田(かばた)”などの南山城の地名を手がかりとして神功・応神伝承の謎を解き明かすとともに、4〜6世紀における山城南部の政治集団とヤマト政権(畿内政権)との関わりについて考察する。

〔塚口氏紹介〕1946年大阪府生れ。堺女子短期大学学長。文学博士。専攻:日本古代史・文化人類学。主な著書に『神宮皇后伝説の研究』(創元社)『ヤマト王権の謎をとく』(学生社)『三輪山の神々』(同)など。

小泉芳孝

「竹取物語ゆかりの筒木について」

 京田辺市はかつての継体天皇の「筒城宮」の所在地で、近年は古事記の「かぐや姫」の父親が大筒木垂根王であることから『竹取物語』ゆかりの地として話題になっている。竹取の翁の家は「山もと近くなり」とあって、その「山本」は古代駅制の古山陰・古山陽道の「山本駅」であると考えられる。近年、三山木駅前の発掘調査において「山本駅」に関連する建物群跡が見つかった。この近くには鶴が舞い降りたところから名づけられた「鶴沢の池」もあって、羽衣説話の伝承地でもあったと考えられるし、また南九州から大隅隼人たちが竹細工の技術をもって住み着いた大住があり、そこには月読神社もある。『竹取物語』と南山城の結びつきは深い。

〔小泉氏紹介〕1947年京都府生れ。(株)京都放送勤務。京田辺市郷土史会理事。専攻:日本民俗学・郷土史 著書として『稲作民俗の源流―日本・インドネシア』(文理閣)がある。

石田天佑

「南山城の神社と伝承について」

 南山城の関する記紀神話や万葉集、それに祭神などに言語学の分野から迫ってみる。現代の山城の地名は、古代日本語・やまとことば・中国語・古代朝鮮語・満州語などあらゆる言語から分析しないと解明できない。それらを解明しつつ、継体天皇や仁徳天皇と渡来人との関係について述べ、神社の祭神を言語学的に分析することによって、隠された南山城の歴史について述べたい。

〔石田氏紹介〕1943年静岡県生まれ。(株)ギルガメシュ代表。総合文芸誌『まほろば』編集長。相撲史研究家・幻想創作家。著書に『イザナミの言語学』(ギルガメシュ出版)『マルドゥクの怒り』(同)小説集『風と馬と』(現代企画室)など。

【シンポジウム冒頭コメント】

吉田金彦

「つぎねふ山代と河内との関係―地名から仁徳・継体の筒城行幸の跡を考える―」

 古い地名はその起源がはっきりしないものが多いが、記紀や『風土記』に書かれ、『万葉集』に歌われた地名が今日そのまま残っている土地も少なくない。古い土地は長い間の歴史を経ているから、当然色々の変遷がある。また、人間の記憶や過去への回想は、往々に歴史的事実や言語的な科学性から飛躍することもしばしば起こるので、本当のところはなかなかわからない。しかし、日本の国土の平和な発展をねがい、日本語と日本文化の起源を知るには、地名への関心が一つの大きな意味を持っている。文献の記録をもとに、土地の伝承に耳を傾け、南山城の古代地名を明らかにしたい。

〔吉田氏紹介〕1923年香川県生れ。姫路獨協大学名誉教授。日本語源研究会代表。京都地名研究会代表。国語学者。著書に『日本語語源学の方法』(大修館)『古代日本語をさぐる』(角川書店)『京都の地名を歩く』(京都新聞出版センター)など。

【シンポジウム・パネリスト】

斎藤幸雄

「流域をめぐる史跡・伝承」

 木津川をめぐる歴史や文学にこだわっていく中で、多くの「南山城逃避行」現象を見出した。それは近世の徳川家康や熊沢蕃山までも含むが、磐之媛もその一人であり、また市辺押磐皇子の遺児の顕宗・仁賢の両天皇もそうである。継体天皇も同様の視点で見ると面白いのではないか。また、「水」の視点で古代史を考えるのも面白いのではないか。田辺の神功皇后不違池伝説、精華町の船長伝説、綺戸辺にまつわる亀石伝説など。

〔斎藤氏紹介〕長年大阪府公立中学・高校で教鞭をとる。現在、緑と教育と文化財を守る会(城陽市)副会長。枚方文学の会会員。著書として『木津川歴史散歩 正・続』(かもがわ選書)『やましろ歴史探訪』(同)など。

 

【シンポジウムの司会】

古川章氏

「新しい視点と展開に期待」

 南山城地方は、近畿の中心地であり、加えて関西学術研究都市20世紀は脚光を浴びた。そのため開発も著しく進み、考古学の分野や市町村史誌の刊行による古文書類の発掘も進んだ。しかし、21世紀は、大陸からの渡来人の足跡などの解明を深めなければならない。こうした時、今回のシンポジウムは時宜を得た企画といえよう。

〔古川章氏紹介〕1937年京都府生れ 京田辺市に勤務、『京都府田辺町史』『田辺町郷土史社寺編』『田辺町近代誌』『田辺町近世近代資料集』などの編纂・刊行に携わった。現在、洛南艸舎文庫主宰。著書に『田辺郷土史なんやかんや』『南やましろの綴喜』など。

 

【第7回例会発表者要旨】

上谷正男

「『丹後』地名考」

 「丹後」という地名は、『続日本紀』元明天皇和銅643日の条に、丹波の国の五郡を割いて新たに丹後の国を設けたことが記されており、ほとんどの人が京都府の丹後のことだけを考えているのではなかろうか。ところが、青森県の八戸にも丹後という地名があり、丹後平古墳群や丹後谷地遺跡などがある。実際に現地を歩いて見ると、八戸の丹後と京都府の丹後とはたいへん似通った地形であるといわざるをえない。そこにはなにか深い意味があるのではないだろうか。

〔上谷氏紹介〕1922年間人生まれ。1998年、日本語語源研究会第34回例会で丹後町のアイヌ語地名について報告。

 

安藤信策

「天女伝説と丹後」

 丹後の天女伝説は奈良時代の丹後国風土記逸文の中に記された古い物語である。それは心ならずも和奈佐の翁・和奈佐のおみなという老夫婦の養女となった天女が、みずからが酒を造って富ませたその家を追われて流浪するという、人の世のつらい現実を語った物語である。そこにはいったいどんな歴史の背景があるのか。日本海に開かれた丹後は、弥生文化をはじめ、大陸の進んだ文化が早くから伝わった地であった。天女が留まったという奈具の地からは大規模な弥生時代の玉作り遺跡が発見されている。天女伝説と丹後の遺跡や漁労民の生活との関係を考えて見たい。

〔安藤氏紹介〕1944年生まれ。現在、京都府立丹後郷土資料館勤務。専攻:考古学。亀岡市篠窯跡群、加茂町恭仁宮跡、京都市大覚寺古墳群などの発掘を担当。それらの発掘調査概報の他、『新修亀岡市史考古編』を分担執筆。

村上政市

「麻呂子親王伝説と地名」

 大江山周辺の山村が廃村の危機を迎え、伝承や民俗芸能の消滅が危惧される。特に麻呂子親王伝説は、今や地元でも忘れ去られようとしている。逸翁美術館蔵の『香取本 大江山絵詞』が最古の伝本とされているが、室町初期に物語の主人公として誕生した酒呑童子の話が丹波と丹後の境の大江山を舞台にして伝説化していった時期は、江戸時代前半ではなかったかと思われる。この地へ酒呑童子を牽引したのは、大江山・三岳山を修行の場とした修験者たちと在地の人々との交流であったと考えられるが、しかし、それが可能になった背景には、ここ大江山の古い鬼退治伝説―麻呂子親王の鬼退治―が人口に膾炙していたことがあったのではないか。現在は廃曲であるが、謡曲『丸子』(別名「みうへが嶽」)が存在するのは、その微証といってよい。「みうへが嶽」は大江山の古称である。この麻呂子伝説は、丹波北部から丹後全域に数多くの関連地名を留めている。それらをたどってみたいと思う。

〔村上氏紹介〕1930年生まれ。京都府下の公立高校教諭、校長を経て、現在、「日本の鬼の交流博物館」館長。主な著書に、『鬼力話伝』『酒呑童子―大江山鬼伝説の虚と実―』『大江ふるさと学』などがある。

【新刊紹介】

谷川健一監修・滝沢主税編著

『地名研究必携』(発行 日本地名研究所) 頒価:36000

地名の字引索引であり、天保郷帳に登載された6万3795の村名が網羅されている。明治期に二度の町村合併があり、旧町村の名は大字になってしまって、江戸期の町村名の探求は困難を極めるが、明治まで存続した町村を知るのに格好の資料となる。

問合せ先:長野県地名研究所 滝沢主税

386-0701長野県小県郡和田村40895  TELFAX 0268880171

【関連団体の催し】

105日(日)9301700

長崎県考古学会厳原大会

シンポジウム「海人と海道」

開催場所:長崎県厳原町 厳原町文化会館

参加講師:

鄭 永鎬 韓国教員大学校名誉教授

永留久恵 歴史研究者 ほか。

問合せ先:

817-8510長崎県下県郡厳原町国分1441番地 厳原町教育委員会生涯学習課

п@0920521211

Fax 0920521130

1123日(日)10001630

宮城県地名研究会設立十周年記念

シンポジウム「みちのくの金と鉄」

開催場所:松島町中央公民館大集会室

【基調講演】

谷川健一日本地名研究所所長「金属地名の重要性」

【講演】

石川俊英(多賀城市埋蔵文化財センター)「柏木製鉄遺跡の発掘」

その他の講師とのパネルディスカッション

問合せ先:

989-4103宮城県志田郡鹿島台町平渡字長瀬6410 太宰幸子

0229569459 Fax 0229569471

【『京都地名探訪』に奮ってご投稿を】

 先般来、本研究会会員を執筆人として、京都新聞に「京都地名散策」が断続的に掲載されていました。単行本として刊行するために、さらに原稿を募集しています。奮ってご応募ください。

【会報『地名探究』原稿募集】

京都地名研究会の会報である『地名探究』2号の原稿を募集しています。幸いにして1号は好評でしたが、次号はさらに充実したものにしたいと思います。〆切は1月末ですが、その前に投稿予定があれば、ご一報お願いします。 


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