「都藝泥布」 第8号 京都地名研究会の通信誌の第8号
  (読み「つぎねふ」は「山城」の枕詞)                    

                

特別寄稿】中野文彦先生と私  池田末則本会顧問

 日本地名学研究所の初代所長中野文彦先生と最初にお会いしたのが、私が十八歳の時であった。当時、私は金剛山中の元禄水論の調査中で、謄写版刷の「金剛山水論史」(A550頁)を出していた。何分にも戦争中のこと、ある村役場で土地台帳の小字名を調べていると、「若い者が、非国民」といわれた時代であって、耳成村での公簿閲覧費が金10銭であったのを記憶している。

 そんな頃、中野先生から「地名の研究を進めてみないか」と声がかかって、奈良県内の小字名の実地調査が始まった。すべてが私財を投じての研究所の仕事で、研究所は先生の御自宅の庭園内にあって、私たちは別館(洋館建築)とよんでいた(終戦当日解体される)。

 私は奈良県内の町村役場の地籍実測図を写し、土地台帳小字名の実地での呼称をしらべまわった。集録した小字名はカードに記し、五十音別に分類した。この仕事は三人の女子所員が担当した。こうした民間の研究事業は今でも大変珍しいことだと思う。やがて。昭和30年頃、研究所が京都伏見へ移った頃、『地名学研究』の学術研究雑誌を公刊し、時々上京しては、柳田国男先生らにお会いする機会があって、「地名学」の樹立に専念することになった。ところが、先生が奈良県教育委員長などの公職で日夜多忙を極められたことから、私が研究所代理人となり、現在に及んでいる。

 晩年の先生に同行し、京都市内の古美術店を訪ね、古文書類を収集、東京の古典籍会には何回も足を運んだ。まったく楽しい日の憶い出はつきない。特に日常の生活はきわめて質素であったが、研究のためには私財の投入はけっして惜しまれなかった。先生こそ典型的な野人文学者であったと思う。まことに学ぶべきことの多い老先生であった。           (了)

2004年度の日程 新たな飛躍に向けて

2003年度は、予定通り、一度の大会、四度の例会をつつがなく行い、会員数も順調に増えて、会としての地歩を固めることができた。『地名探究』第2号も順調に編集作業が進んでおり、まもなくお手元にとどくはずである。だが一方、この二年目は、市町村合併もヤマ場を迎え、その土地の歴史や人々が培った文化を無視した作為的な地名が誕生し、古く由緒のある地名が消滅した年でもあった。

地名研究会としていよいよ大きくなる責務を自覚しつつ、三年目を迎えることになる。当初この研究会の設立目的として謳い上げた地名研究の拠点建設もそろそろ日程に上げるべきであろう。その具体化のためにも、研究活動をおろそかにすることはできず、着実に成果を上げていくことが肝要であろう。そこで、2004年度もこれまで通り、一度の大会、四度の例会を行う。例会でも常時50人を超える方々の参加をいただき、第6回の南山城では参加者は100人を超えた。この種の研究会ではあまり例のないことではあるが、さらなる盛り上がりを期待したい。(梅山秀幸)

☆第9回例会

718日(日)P.M1:30~

   於;京都産業大学神山ホール

発表者

  小島廣正氏:「『橋本』の地名について」

  宮本三郎氏:「『藤の森』について」

☆第10回例会

  926日(日)P.M2:00~

    於;龍谷大学大宮学舎

     渡部正理氏:「『この蟹や』の歌の地名」

 山口均氏:「私の地名論―市町村合併とかかわって」

☆第11回例会

  11月下旬

    丹後あるいは丹波(いずれか未定です)

☆第12回例会

 平成17123日(日)

    南山城(会場は未定)

【第3回総会・大会】

日時:2004418日(日)

於:龍谷大学大宮学舎  清風館大ホール

   PM130200  総会
   PM215〜大会

☆記念講演
   米山俊直京大名誉教授・前大手前大学長

    テーマ:『地名とは何か―文化人類学の視点から―』

☆地名講演

  吉田金彦地名研究会代表理事

    テーマ:『筒城から乙訓宮へ―継体遷都のナゾを地名で追う』

   PM530〜懇親会

   於:龍谷大学生協ホール

【米山俊直先生記念講演概要】
 柳田国男先生の『地名の研究』をはじめとして、全国で地名研究がひろがっている。それを文化人類学の視点からどのようにとらえればよいか。その点について、あらためて考えて見たい。私は「基本的観念群」という言葉を用いて、アフリカの各地(タンザニアのイラク人、コンゴのテンポ人、マリのバンバラ人)を調査して、学位論文を書いた。今では認識人類学とか民俗分類研究として発達している分野である。そのような立場から、地名とはそもそもなにかということを、整理して報告することにしたい。個々の地名については専門家にはとても及ばないことを、あらかじめお断りしておきたい。
 【米山先生プロフィール】
 1930(昭和5)年、奈良県生まれ。
  三重大学、京都大学を経てイリノイ大学に留学。
イリノイ大学、甲南大学、京都大学、放送大学などで教鞭を執り、現在、京都大学名誉教授。なお今年3月まで大手前大学学長を務めた。
日本生活学会今和次郎賞、京都新聞文化章、紫綬褒章などを受章。農学博士。
1966年よりアフリカ各地の調査を開始、また73年より祇園祭、天神祭、神戸まつりの調査を行い、93年まで継続した。
専攻:文化人類学。アフリカ地域研究。
著書:『アフリカ農耕民の世界観』『都市と祭りの人類学』『小盆地宇宙と日本文化』『同時代の人類学』『私の比較文明論』など。
 

8回例会報告

 125日(日)、今年度最終になる第8回例会を、龍谷大学大宮学舎において行った。糸井通浩常任理事のお手配により、古い建物でありながら、今なお斬新さを感じさせる重要文化財の「北黌」を私用させていただき、参加者50名は明治期の学僧たちの向学心を追体験することができた。発表は忠住佳織氏「京都盆地の歌枕―三代集・枕草子を中心に―」、明川忠夫氏「人康親王伝説と地名」、小寺慶昭氏「愛宕と秋葉の地名分布」の三本立てで、初めて20代の若手研究者の発表もあり、地名研究の将来性に期待を抱かせた。

   新たな地名研究の可能性

                  忠住佳織氏

 「歌枕」の成立と展開に焦点を当てて、地名は作歌活動の上で非常に重要視されたが、古今から後撰、

拾遺へと、現場性をはなれて観念性を獲得して「歌枕」が成立すると、忠住氏はいう。時代を追って、山城の   (忠住佳織氏)

歌枕に比べ、遠隔の「鄙」の国々の歌枕が増加していく。それら三代集から後拾遺にいたる勅撰集空白の時代に『能因歌枕』と『枕草子』地名類聚章段が成立しているが、その両者の相違を対比しつつ、当代の人々の「生活空間」の広がりについて、忠住氏はコンピューターを用いて明快な分析を試みた。その方法論は豊かな可能性を感じさせるものであった。

   「しゅく」から「四宮」へ
                  明川忠夫氏

 現在の京阪四宮駅付近は中世において四宮河原と呼ばれた。京都への出入り口にあたり、

関所が設けられるとともに、雑芸人たちが集まるとこ   (明川忠夫氏)

ろでもあったが、そうした雑芸人の始祖として、仁明天皇の四の宮である人康親王にまつわる伝承および遺跡がこの界隈には豊富にある。あまつさえ、人康親王の末裔を名乗る家が今に残っている。盲目の王子として蝉丸とも混同されることもあるが、本来、このあたりは「しゅく」であり、それが音の近似から「四宮」と漢字が当てられ、さらにそれが不遇であった人康親王へと結び付けられたのではないかと、明川忠夫氏は述べた。芸能史に焦点をあてて京都の歴史の厚さを考えさせる発表であった。

神々の棲み分けは?

                 小寺慶昭氏

全国に「愛宕」および「秋葉」のつく地名は多いが、その多くは京都の愛宕神社と静岡の秋葉神社に由来する地名である。小寺氏は、この二つの地名はそれぞれが西と東に棲み分けしているのではないかと、作業仮説を立てる。その上で、全国の愛宕、秋葉の両社の分布、および両地名の分布をつぶさに調べ上げる。Yahooの郵便番号から調べるなど、現代ならではの調査方法も駆使されて、方法論において示唆に富むものであった。作業仮説は成り立たず、愛宕と秋葉は西と東に棲み分けているわけではなく、共存共栄している場合があるという結論になるのだが、われわれが持ちがちな先入観が実にあてにならず、先入観を打ち砕くことにこそ研究の価値があることに気づかされる発表だった。 (小寺慶昭氏)

【地名随想】

八幡市男山吉野          

               古川章

 演歌の詞の中には地名が入ったものが多い。地名が入ることによって内容に臨場感やリアリティがもたらされる。しかも、内容がドラマティックになり、歌う者、聴く者の情感に訴える要素が高くなる。そんな地名入りの歌謡曲が明治、大正、昭和、平成にどれだけあるか、その精査分類が今の私の仕事であるが、さらに、私は短歌の実作者の一人として、正岡子規以降の近現代俳句や短歌の中にどれだけ地名が詠み込まれてきたか、これも興味があって、逐次調べ、分類してみたいと思っている。

その発端は、中学生時代から私淑している近代歌人吉井勇の本格歌集40冊余りの中にどれだけの地名が詠い込まれているかに興味をおぼえたことによる。明治43年(1910)の処女歌集『酒ほがひ』に、「かにかくに祇園は恋し寝るときも枕の下を水の流るる」という有名な歌が入っている。この京都祇園の地名以外にはどのような地名が入っているのか。

しかし、今やこの歌以外に、多くの人は歌人吉井勇をあまり知らない。彼は明治19年(188610月生れ、昭和35年(196011月、75歳で亡くなっているが、「命短し恋せよ乙女」の「ゴンドラの歌」の作詞者でもあった。本来は短歌を作る歌人でありながら、戯曲や小説、ラジオドラマ、それに各種の作詞等、あらゆる文芸ジャンルに多くの作品を残している、まさにマルチ歌人なのである。現代でいえば、寺山修司や俵万智などの先駆者であるといってよい。加えて、旅館や各種店舗のコマーシャル短歌を頼まれ、沢山作ってもいる。

その勇が京都府八幡町に移り住んだのは、終戦の年の10月から23年の8月までの間であった。当時の八幡町はまだ牧歌的な風情が残っており、小字地名には「月夜田」とか「志水」など美しい地名があった。

 その勇の八幡在住地を記念して、吉井町が作られることになった。一歌人の姓を地名として残すといった例は全国でも珍しいと思われる。すなわち、人口急増によって、八幡町が市となり、市内の地名地番変更に取り組まざるをえなくなった。その結果として新しい地名となったのが「男山吉井」であった。海外にはこんな例はよくあり、街の通りに大統領の名を冠したりしている。住民や有識者で構成するする審議会で検討協議された結果を、行政当局が尊重したもので、吉井勇フアンの私はこの粋なはからいを当時喜んだものであった。

しかしながら、その一方で、バブル絶頂期に入って大規模な開発が進む中、いとも簡単に古い歴史をもつ大字小字の地名が消えてしまい、何丁目何番地と味気ない地番表示がなされるようになった。考古学の世界では出土品は有形だが、地名は無形であり、地名が消えてしまうと、すべてが無となってしまう。大字小字が消えて、何丁目何番地に化け、しばらくは地図や絵図に残ったとしても、やがて経過も忘れられて、廃棄される運命にある。

焦眉の急の課題として、日本の消え去っていく地名を永久に保存するためのなんらかの方策が打ち出され、また施設が作られるベきであると、わたくしは思うのである。

古代国号私見

              石田 天佑

 四方を海に囲まれた日本列島は海が国境であり、外国との往来には船で海を渡らざるをえない。さもなければ、天空を翔ぶしかない。古代の日本人が意識した外国名としては、新羅、高句麗、百済、加羅、任那、唐、呉、越などがあり、史書に記されている。

 「新羅(しらぎ)」はsiraが古称であり、とすれば、これは大和言葉のsirasu(領らす、知らす)の名詞形であり、領有地を意味しており、「城」とも同源なのではなかろうか。「高句麗(こうくり)」は建国者である「高」氏が支配する「句麗」ではないか。クリはクレ(呉)でもあり、当時の外国の代名詞でもあったと思われる。「百済(くだら)」は大きな国の意味。朝鮮語で大きいの意味であるkunと、国を意味するnara(奈良)が結びついてkun-naraとなり、それが転訛してkudaraとなった。クノモノ(木の物)がクダモノ(果実)、ケノモノ(毛の物)がケダモノ(獣)に転訛する現象と同じである。

 「加羅」は天皇家の原郷であると思われるが、海の彼方の外国に転義し、後には「唐」をkaraと呼ぶようになる。任那は漢字音で読めばnim-na。これを古代朝鮮語で解釈すれば、「王の国土」の意味になる。満州語でも、大地あるいは国土をnaといい、大国主命の別名オオナムチの「ナ」も、『魏志倭人伝』に出てくる「那国」の「ナ」も同源と考えることができよう。このnaは、母音が変化して、ni(丹・赤土)、ne(根・根の国)、no()という具合に派生語を作り、ワードファミリーを形成するものと思われる。

 日本国内の地名も語源を探っていくと、思わざるものが見えてくる。フィリッピンのタガログ語では煙のことをasoというが、そこで、阿蘇山は煙の出る山の意味ではないかと思われる。浅間山もasoからasaへと変化しただけで、同じく煙の山であり、火の燃えさかる中で出産したコノハナノサクヤ姫を祭神とする浅間神社は、やはりかつては活火山であった火の山の富士山の麓に鎮座している。

 国号である「ヤマト」の意味は「山処」、「山門」の両様に解釈されるが、その原初の領域は奈良県の磯城郡である。この「シキ」、あるいは「敷島」といい、「敷島の」という大和に冠する枕詞としても用いられる「シキ」という地名の語源はわかりにくい。しかし、領有あるいは支配を意味するsikuの名詞形sikiが原義であると考えられる。

 以上、あくまで私見であるが、地名は古代日本語のみならず、周辺のあらゆる言語の知識から解釈することができるように思われる。そうして、そこから海外との交流、古人たちの生活のありさまが浮き彫りになってくるのではあるまいか。

【新刊紹介】

上野智子著『地名語彙の開く世界』(和泉書院 20041月刊。2800円)

 本書は「生活語彙の開く世界」叢書の第2巻として出版された。著者は方言の研究者であるが、地名に関しても関心が高く、特に海岸部を中心に各地をたんねんに歩き、聞き取りと現地調査によって膨大なデータを収集、それを基に地名研究についてのさまざまな問題点を整理してくれている。理論の本ではなく、具体的なフィールドワークを紹介しながらの「地名研究入門書」といってもよい本である。特に「不記載地名(微細地名)」に注目していて、今後の小字名だけでなく、まだまだ掘り起こすべきことばの記録としての地名のあることを教えてくれる。「地名の海へ」「地名のレトリック」「地名と方言」「地名の周辺」「地名の総合学を」という章立てからは伺えない豊かな内容ときめ細かい考察の書である。(なお、著者は高知大学人文学部助教授)

             (糸井通浩)

【会員新刊紹介】

生谷陽之助著『日本六十八ヵ国一宮巡歴記』

    (日経大阪PR企画室 20043月刊 1800円)

 著者が11年かけて全日本の旧国ごとの一宮を巡拝し、87社の成立や神々のルーツを探った研究報告書。神社巡りの手引書であるとともに、歩いて神のことを考えた読み応えのある神社地名に関する好著である。

             (吉田金彦)

石田天佑著『妣の国 父の蒼天』

    (ギルガメシュ出版 2004年1月刊 3000円)

 本会常任理事である石田天佑氏の自伝小説。生い立ちから現在に至る生の軌跡をたどるが、幼少年期を過ごした遠州地方の風光がみずみずしく、幼い目で見た戦後まもなくの社会のありさまも貴重な証言となろう。タイトルが示すとおり、氏の父母への思いは古典的な「孝」であり、近代の私小説の多くが「不孝」を売りにしていたのとは本質的に違っている。それは限界ではなく、著者の「徳」とすべきであろう。

             (梅山秀幸)

【本部ニュース】

2003.8.26. 吉田金彦代表、田上源氏と共に文化庁を訪ねて、素川次長・佐藤広報推進室長に会い、地名文化博物館建設について陳情、理解を求める。

2003.12.17. 吉田代表、小牧誠三郎氏と共に総務省自治行政局を訪ね、久元行政課長、市町村課の馬返理事官・鶴田総務次官・伊藤住民台帳係長に会い、地名に関する行政文書の散逸防止について法規施行の要望を陳情した。

2004.1.6. 吉田代表、小牧氏と共に京都府庁を訪ね、中村課長、前川主幹と会い、地名に関する行政文書保存策について陳情。同日、京都府立総合資料館長吉池氏、入江課長、渡辺主任にも会い、同件要望。

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