「都藝泥布」 第9号 京都地名研究会の通信誌の第9号
  (読み「つぎねふ」は「山城」の枕詞)                    

                 

3回総会・大会開

 地名保存へ 要望書

 京都地名研究会は、418日(日)、龍谷大学大宮学舎において、第3回の総会・大会を開催した。午前中の理事会を経て、総会では、昨年度の事業報告・決算報告があり、また今年度の事業計画、常任理事および予算の提案がなされ、それぞれ承認を得た。本会の懸案である地名文化博物館(仮称)建設計画の進捗状況について、田上源氏からの説明があった。さらには、現在すすめられている市町村合併によって消失が危惧される地名資料の保存を求めるために、本研究会から「地名尊重と保存の法規作成に就いての要望書」を政府に提出することを議決、その案文についても承認された。

 中野氏へ感謝状

 大会では、ご尊父中野文彦氏の蒐集による地名研究関連貴重書を本会に寄贈いただいたことに対して、中野正文氏に記念品と感謝状を贈呈し、その後、京都大学名誉教授で大手前女子大学前学長の米山俊直氏の講演「地名とは何か―文化人類学の視点から―」、そして吉田金彦本会代表理事の講演「筒木宮から乙訓宮へ―継体遷都のナゾを地名で追う―」が行われた。二つの講演の後、質疑応答の時間も設けられ、会場からの熱心な質問に対して、両氏の回答があり、時間切れの後は、会場を懇親会の席に移してのひと時の歓談がもたれた。

中野正文氏(左)に感謝状を贈呈

EticEmic

米山俊直氏

 米山氏は文化人類学者としての立場から、地名学の学問としてのありかたについて、貴重な提言を行った。氏によれば、人類学の研究方法にはetic、普遍的なものと、emic、個別的なものとの二つがあり、地名研究にもその二つが考えられるという。eticemicの概念は、言語学の音声的なものphonetic、および音素的なもの phonemicに由来し、頭のphonを取り去ったものであるが、地名をetic普遍的に考えるとすれば、広汎な視野のもとでの地形、動植物、神話・伝承などからのアプローチがあるとし、またemic個別的な研究のすぐれた例として、その土地土地の歴史的伝統的な個別性にこだわった柳田国男の『地名の研究』を、米山氏は挙げる。また、地名学が成立するとすれば、それは人類学の中においてであるという、柳田の主張についても、氏は取り上げた。柳田のいわんとした意味は熟慮すべきであろうが、氏の講演は、塚本邦雄の「茜さす天使突抜春の曙」というエッセーを引用しつつ、土地の名にたいする愛のあふれたものであった。

 継体遷都の謎を追う

吉田金彦氏

 吉田本会代表理事は、樟葉、筒木そして乙訓という継体天皇の遷都の地をめぐり、その地名の考察を通して、古代史の実像を探ることを試みた。息長氏の血を引く継体天皇は北陸から近畿にやってきたものの、すぐには大和に入ることが出来ず、まず腰を落ち着けたのは北河内の樟葉であった。そのクズハはクニスニハ(国棲庭)であり、淀川河畔に棲息していた土着の人々の力を借りて、なだらかな丘陵を越えて南山城の筒城に至ったものと考えられる。塚口義信氏のいうように、普賢寺の山号の「息長山」は無視できず、息長氏とのゆかりを感じさせる。その後、継体天皇はいったん北の乙訓に退くが、乙訓(ヲトクニ)は「兄国」の葛野に対しての「弟国」であり、秦氏の勢力圏であり、いまの小畑(小秦と解釈できる)川流域一帯が高い文化をもった地域であったことを明らかにした。寒風吹きすさぶ中、レンタサイクルを使っての徹底したフィールドワークであり、その姿勢と情熱には学ぶべきところが多い。

  米山俊直氏(左)と吉田金彦代表理事

【第9回例会】
7月18日(日)午後1:30〜
於 京都産業大学・神山ホール
発表:宮本三郎氏
    「『藤ノ森』地名考」
 文学散歩:知られざる神山
   解説・案内 池田哲郎氏
 [今回、この機会に上賀茂の奥、神山を散策することになりました。資料提供とご指導を池田常任理事にお願いしました。足元安全にご参加ください。雨天のときは池田氏のお話になります。]

【交通】
1、京都市営地下鉄北大路駅から市営バス(北3系統)終点 下車すぐ。
2、京阪電車出町柳駅から京都バス(市原・静原・鞍馬方面行き)産大前下車。
3、駐車場は民間のものがあります。臨時に学内にも駐車可。
4、タクシーは北大路から千円強です。
5、上賀茂神社・柊野別れからゴルフ場脇を通る鞍馬街道もすがすがしい散策コースです。健脚の方は、雨でなければ、徒歩もいいかもしれません。
☆当日連絡・大学門衛所      075−705−1421

【宮本三郎氏発表要旨】

 「藤森」という地名は「藤原氏」に関係した地名であるという説が一般には流布している。京都市伏見区の藤森はどうなのか?藤森神社との関係は?などについて述べてみたい。「藤森」は、『国史地名辞典』(村田書店)には、「山城国紀伊郡深草村の南部、伏見町の北を藤森と云う。府社藤森神社此地にあり」、とあり、『日本歴史地名大系27』(平凡社)には、「鎌倉期から見える地名。山城国紀伊郡のうち。藤杜とも記す。藤森神社に由来する地名」と記述されているが、いずれも藤森神社に由来すると云われています。しかし本来は藤森という地にあるから藤森神社となったのが正しいようです。藤森神社の宮司である「藤森氏」という姓についても言及したい。

【宮本三郎氏プロフィール】
昭和40年龍谷大学卒業、伏見信用金庫入社。昭和61年京都産業大学計算機科学研究所非常勤講師。平成9年龍谷大学経済学部助教授。龍谷大学修士課程修了。現在、龍谷大学、京都産業大学、他大学非常勤講師。

10回以降の例会予定

【第10回例会】
  926日(日)午後2時〜5
  於 龍谷大学大宮学舎
  発表1 渡部正理氏:「この蟹や」の歌の地名と和邇氏
  発表2 山口均氏:私の地名論
【第11回例会】
  1128日(日)午後2時〜5
  於 綾部市文化会館
  発表1 高橋聡子氏:舞鶴の地名
  発表2 綾部の地名(未定)
【第12回例会】
  2005130日(日)
         午後2時〜5
 於 城陽市東部コミュニティーセンター
  発表1 生谷陽之助氏:諸国一ノ宮と地名
  発表2 芝野康之氏

本会の要望活動が新聞記事に

 本会では総会において、「地名尊重と保存の法規作成を求める要望書」を政府に提出することを議決したが、そのことが『京都新聞』に取り上げられ、報道されている。その記事とともに、次ページには、その要望書全文を掲げる。『京都新聞』の記事は次のとおり―

歴史的地名の尊重を―首相らに要請書提出へ―
 京都地名研究会(吉田金彦代表理事)の第三回総会・大会がこのほど、京都市下京区の龍谷大学大宮学舎で開かれ、国の政策で市町村合併が急速に進む中、それによって歴史的地名が失われていく現状を看過できないとして、「地名尊重と保存の法規作成」を求める要請書を小泉純一郎首相ら関係閣僚に提出することを決めた。

 要請書は「地名の重要性の認識に欠け、ひらがな、カタカナ地名、イニシャルを継ぎ合わせたものなど、土地の歴史の断絶につながる新地名が次々に誕生している」としたうえで、「地名愛護の精神がなければ郷土愛、ひいては国土を愛する心も育たない。合併を推進するだけでなく、政府が主導して地名を保護する法規の作成を」と訴えている。(平成16421日)


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