「都藝泥布」 第10号 京都地名研究会の通信誌の第10号 (読み「つぎねふ」は「山城」の枕詞) |
第9回例会報告
2004年7月18日(日)、京都北山の京都産業大学において、第9回の例会を行った。まだ梅雨が明けきらず、小雨がちらつくあいにくの天気であったが、まずまずの参加者があった。今回は趣向をすこし変え、宮本三郎氏の発表の後、本会の常任理事で京都産業大学教授の池田哲郎氏の案内で、大学のキャンパスを見学させていただいた。
稲荷より古い藤森
宮本三郎氏
宮本三郎氏は「藤森」という地名について、まず藤森神社があって、鎌倉期に神社から独立した地名として定着したものとする説に疑義を呈し、土地が神社より先なのではないかと考える。「藤森」という地名は全国にあり、宮本氏の故郷であるという、信楽の奥の多羅尾にも「藤森」がある。そこの榎のまつわりついた藤に倭姫命が腰をかけたという伝承があるそうである。宮本氏は縦横無尽に土地々々の現在まで伝わっている伝承を紹介して、会場の関心をひきつけた。
宮本氏によれば、藤森神社の宮司家の姓は「藤森」であるが、以前は「春原」であった。宮司さんの話では、生きているときは「藤森」を名乗るが、死ぬと「春原」姓に戻るのだという。天智天皇の子息の施基皇子の四代の孫の五百枝王が親戚に下って名乗ったのが「春原」であり、宮司家はその末裔であることになる。五百枝王は桓武天皇とも近縁であり、桓武に退けられて憤死した早良親王を祭神とする藤森神社に奉仕するのにふさわしいが、しかし、藤森神社はさらに由緒があるらしく思われる。
現在でも、お祭りのとき、藤森神社の御神輿
は稲荷神社の前にまで行って、「土地返せ」といい、それに対して稲荷側は「今、留守じゃ」などとかけあうのだそうである。
伝承では、弘法太師が藤森神社とかけあって、社地をほとんど詐欺のようにして奪い取って稲荷神社のものとしたのだという。とすれば、稲作の民の神々よりもさらに古い人々の神としていましたのが藤森であったことになろう。
宮本氏の発表
の後、会場からは藤森神社の氏子であるという方からの質問があり、藤森神社と稲荷神社の氏子の棲み分け、競馬の神事の言い伝えなどにも話が及んだ。さらには、吉田代表から、もともと藤の下は神聖な空間であり、そこで巫が神々を呼び寄せ、託宣を述べるといった古代の習俗があったのではないかという主旨のコメントがあった。
賀茂のサンクチュアリ
発表の後、池田氏の案内で、京都産業大学のキャンパスを見学させていただいた。小雨がぱらついたために神山の方へは足を伸ばすことができなかったが、かなりの起伏のある山中を、お年を召された方も元気に歩き回った。単なる大学のキャンパスではなく、京都で最も大きな霊威をもつカモの神の聖地であり、地名研究会として散策する価値はじゅうぶんにあった。
【第10回例会】 9月26日(日)午後2〜5時 於龍谷大学大宮学舎清和館ホール 発表1 |
【渡部氏発表要旨】
「この蟹や」の歌はよく知られているが、さて「この蟹」は敦賀を出ていったいどこに着いたのであろうか。じつは到着地は三島なのである。
まず、この歌は地名詠み込みの歌だということを理解しなければならない。女性の後ろ姿を楯に例えた表現があるが、それは「小楯」という地名を詠み込むためのやや苦しい比喩なのだが、それを指摘している解説を見ない。宣長以来、この歌のミシマは琵琶湖に浮かぶ島と解されており、道程の景色や目にとまった地名を適当に詠み込んだ歌程度に理解されてきているわけだが、そんなどうでもよい地名を詠み込んだ歌などではないはずである。ミシマが三島だということは、この歌の構造と日本語の理解からいえることである。この歌は高校生の試験に出してもいいような明確な構造を持っているのに、残念ながらそのことが正しく理解されてこなかった。三島といえば継体が葬られたという土地だが、その地が敦賀を起点とするとはどういうことか、詠み込まれている地名はセットとしてどのような意味を持つのか考えてみることにしたい。
[渡部氏プロフィール]:著作『川をなぜカワというか―日本語生成原理の発見』(新人物往来社)。日本語は音節動詞を原初として発展し生成された言語であるという主張をしており、最近、語源研究会でも賛同者が増えている。記紀の古代日本語の解釈の視点から古代史についても多くの論文を発表している。
【山口氏発表要旨】
市町村合併によって地名に関わるさまざまな問題を取り上げつつ、「地名の中味」を知らない稚拙な民意によって新市町村名が左右されている実態を紹介する。
そのような民意を作り上げた今日までの背景を考え、「京都地名研究会」「地名研究会あいち」など、全国の地名研究会の役割を問いかける。
稚拙な判断によって命名された新地名も、時代の流れとともに、いずれ「地名文化」の範疇に組み入れられてしまう虚しさを背後に感じながら……
「山口氏プロフィール」:昭和29年名古屋市生まれ。皇學館大學文学部卒業。卒論で「巡見街道―その地名の由来―」を書く。十年前ふたたび地名研究に傾倒し、四年前「地名研究会あいち」を発足、みずから代表を務める。現在、愛知県長久手町在住。私立永徳高等学校にて主に日本史を担当。
【第11回例会】 11月28日(日)午後2〜5時 於 綾部市文化会館 発表1 |
【高橋氏発表要旨】
舞鶴市中地区の国道27号線沿いに大字余部上、余部下がある。
余戸、余部、余目という地名は各地にあり、大化の改新後の戸令で村落を50戸で1里(郷)とし、残余の戸が生じた場合に余戸と称したことによる、といわれている。
舞鶴の余部について、吉田金彦氏の「アマは海人の地だったことを示している」(『京都の地名を歩く』京都新聞出版センター 2003年5月)という説はかなり的を射ていると思われた。やや内陸的な現在の余部地区を含む『和名抄』(10世紀)の「余戸郷」は、東西に大きく湾入する舞鶴湾の中央に張り出した地域一帯を占めていた。それはどうみても「余った戸」というものではない。
舞鶴は縄文時代の丸木舟はじめ海との関わり深い土地柄である。古代に「あまるべ」と称していた地域を「海人部」との関連で考えてみたい。
[高橋氏プロフィール]:1938年京都府生まれ。奈良女子大学史学科卒業。6年間、宇治市立西宇治中学校で教鞭をとる。現在、舞鶴市文化財保護委員。
【川端二三三郎氏発表要旨】
古代から明治に至る綾部の特徴的な地名について、歴史をたどりながら、出来るだけ整理してお話ししたい。
[川端氏プロフィール]:綾部市文化財審議会副会長。綾部史談会副会長。『福知山市史第3巻』(分担執筆)「福知山市石原の宮構について」(『両丹地方史』第36号)他。
第4回総会・大会の日程・講師決まる!! 2005年4月17日(日) 記念講演 金田章裕・京都大学副学長 地名講演 鏡味明克・愛知学院大学教授 |
【特別寄稿】 文魂理才
村上征勝 同志社大学文化情報学部教授
文系の学問と理系の学問の間には壁がある。主として精神的知的活動を扱う文系の研究方法はどちらかというと直観的、主観的、抽象的、個別的であり、一方、科学技術やもの作りを扱う理系の研究は論理的、客観的、具体的、普遍的である。このような基本的な研究方法の違いは、大学教育においては文系、理系の学部の違いとなって現れ今日まで続いてきているが、近年、文系と理系の学問の融合の必要性がさけばれるようになった。
ところで、「和魂漢才」という言葉がある。『広辞苑』によると、日本固有の精神と中国の学問の両者を融合すること、つまり、日本固有の精神を持って中国から伝来した学問を活用することの重要性を強調した言葉であると記されている。
私は文理融合型の学問は、文系固有の研究の精神を持って、理系の研究方法を活用することと考えており、その意味から「和魂漢才」という言葉をもじり「文魂理才」と呼んでいる。そして、文理融合のためのキーとなるのは、データによって現象の解明を試みるデータサイエンスの考え方と考えている。
現象の解明を試みる際に、理論によるのではなくデータによって現象の解明を試みるのがデータサイエンスである。文系の学問が対象とする現象はあいまい複雑で、理論的に解明するのが難しいものが多い。したがって、データに基づく研究方法が威力を発揮する。
私はこれまで、日蓮遺文などの宗教書や、『源氏物語』、川端康成作品などの文学作品の文章の数量的分析、考古学・歴史学データの数量分析、浮世絵の数量分析などの文系の研究にデータに基づいた数量分析を試みてきた。このような研究を行っているうちに、古典作品の分析や、考古学・歴史学の研究においては、地名情報をうまく分析することによって新たな知見が得られる可能性があるのではないかと考えるようになった。ただ、どのようにすれば地名情報を文化研究に有効に利用することができるかについては、多くの方々の知恵をお借りしなければならない。
同志社大学では来年4月に文化情報学部を設置する予定である。人間の営みをすべて文化ととらえ、その背後にある個別的・論理的な発想法と、理系の学問の基底にある普遍的・論理的な思考法の双方を兼ね備えた柔軟な発想能力を有する人材の養成を目的としている。この新しい学部に、地名データの分析を試みる学生が数多く入学してくれることを期待している。
【文献紹介】
宮本三郎さん、中島至さんほか5名の編集委員による地域研究紹介誌『深草稲荷』が第2版として好評発売されている。伏見稲荷大社をはじめ、深草・稲荷地区の社寺・御陵・旧蹟・歴史街道を地図・絵図・写真入りで要領を得て誠実に解説したもの。発行:伏見区深草稲荷境内町深草稲荷保勝会(代表:南義生さん)。本についての問い合わせは稲荷名産館(電話:075-641-0221 Fax:075-643-0004)132ページ、中版、頒布価格500円。
【近刊紹介】
池田末則著『地名学伝詳論 補訂』
本会顧問の著者の近刊本。内容は「古代地名の発掘」として、地名表記、地名用字、古代地名の伝承について論じ、また地名学研究の歴史をふりかえっている。日本地名学研究所の設立当時から、この学問に志してこられた著者ならではの回想があって、地名研究に手を染めようとする者に大きな示唆を与えよう。2004年6月 クレス出版社刊。12600円。
●まもなく地名研究の心得と手引き、『日本地名学を学ぶ人のために』が出版されます。A5版、340ページ。索引、参考文献付。予価2500円。10月20日発売。京都市左京区岩倉南桑原町56 世界思想社刊です。本会代表者はじめ会員も含め地名学関係学者30名による大論文集です。地名の成り立ち、方法、諸問題、役割、外国地名のコラムなど内容多彩であり、地名研究上のよき指針となりますので、ぜひお読み下さるようお願いします。
【編集後記】新入会員の村上征勝さんからご寄稿いただきました。ほかならぬこの研究会において、本文にあるような文系理系の融合が達成できればいいと思います。(梅山)
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