「都藝泥布」 第5号 京都地名研究会の通信誌の第5号 (読み「つぎねふ」は「山城」の枕詞) |
京都地名研究会
第2回総会・大会行われる
4月20日(日)、キャンパスプラザ京都において、京都地名研究会第2回総会および大会を行った。初年度の設立総会、計4度の例会および通信の発行、そして研究紀要ともいうべき『地名探求』の発行と、当初の計画通り、まずまずの滑り出しを受けて、研究会の発展および充実にとっては正念場となる2年目を迎えたことになる。百人近くの参加者があって、盛会であった。
総会に先立って、午前中には同会場で理事会を開き、会の前年度の事業報告、収支決算が行われ、さらに今年度の事業計画および予算について審議が行われ、承認した。さらに、あらたに常任理事として、田上源氏、竹田堅信氏、真下美弥子氏、、山嵜泰正和氏の就任が提案され、承認された。理事会において承認された議題については、午後の総会においても提案され、審議の後、承認された。
フォーラム
『京の古代史と地名』
午後の大会は講演とフォーラムで構成され、上田正昭京大名誉教授および吉田金彦本研究会代表理事の二つの講演の後、会場からの質問をも取り込みながら、井上満郎京都産業大学教授の司会のもとで、シンポジウムが行われた。
上田氏「平安京・京都そしてカモ」
平安京は桓武天皇が先祖に当る天智天皇の古都である大津を外港と位置づけて遷都したものであると、上田氏はいう。その命名には混乱した平城京への反省から、「平安楽土」への願いが込められていたものの、その実相は名前を裏切った。平安京は中国の洛陽と長安を意識して、左京を洛陽、右京を長安と呼んでいたが、12世紀後半になると、上京・下京制度に変化する。しかし、都市名としての「京都」は遷都の当初からあったものではなく、988年の「尾張国郡司百姓等解」が初出であって、平安京=京都ではないことを、上田氏は指摘した。また、京都の鴨および賀茂と大和の葛城の鴨、さらには全国に分布するカモとの関係について論じられた。
吉田氏「つぎねふ山代と筒木の意味」
山城にかかる「つぎねふ(や)」という枕詞の語義およびかかり方には定説がない。「継苗生」と解釈して、木を切り出した後に木の苗を継続して植えるからだという説、あるいは「次嶺経」という文字面から、次々と続く峰を経て行くという意味だとする説があるが、吉田氏は、山ではなく、むしろ川から、そして大和からよりも木津川の下流の方から発想すべきだという。「つ」は「津」であり、むしろ水路の存在を示すのではないかというのである。筒木の宮も普賢寺谷の入り口の小丘にあって、木津川を遡ってたどり着いた津にある城(き)の意味ではないかと指摘、新しい説の展開がなされた。
師の説になづまざる事・・・
シンポジウムに移って、司会の井上氏から、上田説に対しては、「京都」の文字が「尾張国郡司百姓等解」に出てきても、それは「みやこ」の意味合いでしかなく、真に「きょうと」であるかどうか、疑義が出され、吉田氏に対しても、南山城の川々が天井川を形成しており、良津であったかどうか、すこぶる疑わしいとの指摘があり、議論が行われた。井上氏が上田氏の弟子筋にあたることは自他ともに認められることであろうが、本居宣長がいうように、「師の説になづまざる」こそ、「師の心」であり、「師をたふとむ」ことといえようか。活発な実りの多いフォーラムであった。
【2003年度例会スケジュール】
第5回例会 7月20日(日)
14:00〜17:00
於 京都産業大学
詳細は6ページを御参照ください。
第6回例会 10月19日(日)
シンポジウム
『秘められた南山城の地名を探る』
10:00〜16:00
於 京田辺市(会場は未定)
(京田辺市郷土史会との共催で計画を進めています。次号の『都芸泥布』には会場および報告者を発表します)
第7回例会 11月16日(日)予定
14:00〜17:00
於 宮津あるいは大江
第8回例会 1月25日(日)
14:00〜17:00
於 龍谷大学大宮学舎
近江の渡来地名を探る
大津市で第22回地名研究者大会
「渡来文化と近江の道」をテーマに日本地名研究所主催の第22回全国地名研究者大会が4月13日から2日間、大津市におの浜のピアザ淡海で開かれた。
初日午前は谷川健一同所長が基調報告「アメノヒボコと秦氏」、木村至宏成安造形大学学長が講演「近江の渡来文化」を行った。
谷川氏は、古代から朝鮮半島と日本とは人的交流が、一方向ではなく双方向で盛んだったことを強調、一例として桓武天皇の生母である高野新笠の祖、百済の武寧王が嶋王と呼ばれていることに触れた。つまり、彼の名は生誕地が「各羅嶋(かからのしま)」(佐賀県加唐島)であることに由来するが、小船でも渡航には事足り、このいわゆる「邪馬台国ルート」を使って、日本と半島の間では頻繁な往来があったと語った。
木村氏は、滋賀県下には渡来人の足跡に関連する遺跡が多いことを指摘。渡来系陶工が居住したと思われる竜王町鏡周辺の須恵器窯跡群、オンドル遺構が見つかった大津市穴太遺跡、依知秦氏の活躍した愛知郡の百済寺、さらには新羅系の寺社などの存在を上げ、高度の文化をもたらした渡来人の果たした大きな役割について述べた。
午後は池田末則(当研究会顧問、奈良・柏原市住居表示審議会委員)、吉田金彦(当研究会代表理事)ら6氏が居住府県やその近隣に残る渡来地名について報告した。
池田氏は「新笠妃『百済村』考」と題し、奈良県下の同妃に関わる地名、奈良市日笠・高の(野)原や、百済系の村・川・池・寺名などを史料を駆使して解説した。ただ、すべてが百済に関係があるわけではなく、奈良市・漢国(かんこう)神社は韓国神社、韓神祠とも記さ、「韓」「漢」は、カヌ(クニ)で「国」、「神(こう)」は国津神のことであり、地名用字にはとらわれることには注意が必要であると指摘した。
吉田氏は「山城国渡来人の地名」のテーマで、太秦を中心に報告。広隆寺が所在するウヅマサは朝鮮地名から来たのではなく、日本語の解釈が可能であるとした。ウツは宇太村のウタと同源で、ウはよろしい、すぐれているなどの意味、ツは所、土地の意味であり、それに敬語のイマス(坐)を略したマス、その活用形の古い形のマサをつけたのがウヅマサであると説明、秦人を神のように尊び地名化したものではないかとと自説を述べた。
パネルディスカッションでは市町村合併問題を谷川氏が提起。岐阜県下の「飛騨市」「郡上市」などの合併地名について、反対署名をしている現地からの報告があり、谷川氏も「伝統地名を考慮しない『南アルプス市』という命名や、野球の松井選手の名前を町名にしようという動きがあるが、総務省までわれわれの意見が届くようにしないといけない」としめくくった。
第2日は、近江路古跡探訪ツアーを行い、紫香楽宮跡、野洲町の銅鐸博物館、石塔寺など湖東の渡来文化の代表的な旧跡を訪れた。(綱本記)
因幡堂薬師千年祭り
山嵜泰正
2003年5月4,5の両日、烏丸通り松原上るの因幡堂薬師で千年祭が行われ、茂山一門の狂言『因幡堂』『鬼瓦』が本堂で上演された。
千年前といえば、紫式部や清少納言の生きていた時代である。
因幡堂の縁起由来についてはご存知の方も多いと思うが、橘行平が因幡の国に下向して病気になった。病気平癒を祈願していると、ある夜ひとりの異形の僧が夢に現れて、賀留津の海に「光る浮木の仏あり。衆生済度のため仏の国より来れり。汝すみやかに供養すべし」と知らせた。それで、行平はさっそくその浦に草堂を作り尊像を安置して供養した。行平は病気がなおり、その後京都にもどった。
長保5年(1003)4月8日黎明、異形の僧が京の橘行平の邸宅を訪ねてきた。「我は衆生済度のため東上して来た。行平に宿縁あり」と。行平が「どこよりお越しか、お名前は」と問うと、僧は「因幡より」と答えた。行平ははっと驚いて目がさめた。「異なるかな」と、行平は屋敷の西門を開けた。すると、そこには、なんと、あの薬師如来の尊像がたたずんでいた。驚いて碁盤の上に尊像を安置して、行平は邸宅を改造して仏閣を造った。それが因幡薬師の始めだという(東京国立博物館所蔵『因幡薬師堂縁起絵巻』)
一条天皇はこの話を聞いて天皇の勅願として八つの子院や僧坊を建てた。薬師如来の霊験は世間の評判を呼び、病気平癒だけではなく、所願成就をかなえるありがたい如来様として善男善女が集まり、時代が下るにつれて、境内はあらゆる芸能の行われる広場にもなった。
中世の五条因幡堂は、洛中洛外図屏風にも描かれている。今の「松原通り」が豊臣秀吉の京都改造以前は「五条大路」であった。
さて、狂言『鬼瓦』や『因幡堂』はまさにこの因幡堂の境内の様子を描き出した狂言の内容であった。それをその現場で、82歳の茂山千五郎さんは、おそらく先祖が演じたであろう現場でそれにちなむ演目を演じられる幸せを述べられた。また茂山逸平さんは、狂言の内容を解説しながら、「因幡堂千年祭で演じられる好機はまたとない希有の機会だ」と話した。
狂言『鬼瓦』は京に赴任した地方の大名と太郎冠者が日頃信仰する因幡薬師に参詣し、訴訟もうまく済み、ようやく故郷に帰れることになったとお薬師様に報告する。特設舞台が本堂で、本尊に対して二人は拝むことになって、まったくリアルだった。大名がふと見上げると、屋根の鬼瓦が見える。「はて、どこかで見た顔」と思いめぐらす。そして、「故郷に残したわが女房の顔。実物を見ずによく似せて作ってあるわい」と感心しつつ、懐かしくなって泣き出す。太郎冠者が「故郷に戻れば、遭えますよ」というと、大名は「おお、そうじゃ、そうじゃ」といって、二人で大笑い。
『因幡堂』では、一人の男がまさしくこの因幡堂にやって来る。里に帰した女房はあまりに大酒飲みで、離縁状を書き送った。「お薬師さま、どうか良い女をお授けください」と祈願して参篭する。居眠りする男のところへ、もとの女房が現れて、「一条の橋でたたずむ女を娶れ」とささやく。男が薬師如来のお告げと信じて、一条の橋にやってくると、そこには頭に被り物をした女が立っている。男は恥ずかしがりながら女に近づき、女の手をとって我が家に連れ帰る。さて、三々九度の杯を交わす段になって、杯を与えると、女はぐいぐい飲み干して、さらに何度も請求する始末。「わしはよほど酒飲みの女に縁がある」と覚悟を決めて、男が女の被り物をはぐと、そこには振る女房の怒った顔。「許せ、許せ」と逃げる男を「やるまいぞ、やるまいぞ」と追いかける女房。
私の幼い頃は毎月八日には夜店が多く出たものだった。ところが、いつの間にかなくなり、今は毎月八日は昼、「市の立つ日」として復活した。
ところで、因幡堂にはすごいお宝物がある。『平家物語』で有名な小督局のものと伝えられる琴、彼女の黒髪で経文を織り込んだという織物。小督局は高倉天皇の寵愛を受けた女性であったが、平清盛の娘徳子が高倉天皇の皇后であったために、清盛に憎まれ、清閑寺で尼にさせられたという。実は因幡堂は高倉天皇じきじきに「平等寺」という勅額を賜っていて、それで、小督局の品々が遺されているのだという。
そんなめったに見られない寺宝を拝見していたときに、偶然、吉田金彦先生にお会いして、ごいっしょに茂山一門の狂言も鑑賞できたのだった。31.1度という真夏の暑さで、背中が焼けるようだった。
この因幡堂は1864年(元始元)の蛤御門の変のどんどん焼け(鉄砲焼け)で焼失した。どんどん焼けは、北は中立売から南は京都駅の辺りまで、東は鴨川、西は堀川通りまで、7月19日から21日までの3日間、京都の民家や寺社が炎上焼失した。それで、、現在の因幡堂は高島屋社長(飯田氏)や大丸社長(下村氏)らが私財を寄進して建立したものである。当時の高島屋は現在の烏丸高辻の京都銀行本店の場所にあり、戦後もそこで商売をしていた。だから、烏丸通をを挟んで東に因幡薬師、西に飯田さんの高島屋が向かい合っていた。
【新刊紹介】
○『地名研究資料集』全5巻 [編集解説]池田末則・鏡味明克・江端真樹子(平成15年5月 クレス出版)本居宣長・荻生徂徠など近世の主要な地名研究の基礎的文献27点を精選し集成したもの。編集者の池田博士は「日本の地名に最も関心を持ち、調査研究したのは近世の学者たちであった」という。現代の重要図書となっている。A5版 全冊揃9万円。
○吉田金彦著『京都の地名を歩く』(平成15年5月 京都新聞社刊 1400円)京都市および府内の主要な200地名の由来と語源の解明を試みた本。
○吉田金彦著『日本語ことばのルーツ探し』(平成15年4月 祥伝社黄金文庫 620円)ふだん語のルーツを平安・江戸時代にさかのぼって考察したもの。『週刊朝日』5月16日号書評に「われわれが日常語に使っている言葉の語源をさぐる旅が展開されていて大いに楽しめる。とくに著者の自説が主張されているあたりで、読者もいっしょに語源をさぐることになる」とある。
○大垣市地名研究会編著『水都大垣の地名』(平成15年2月 大垣市文化連盟発行 406ページ 2500円 美装大版)「日本まんなか共和国文化首都大垣」キャンペーンの一環として、六年がかりで取り組んできた大垣市の地名研究が出版された。大垣市地名研究会会長の服部真六氏を中心に、会員・市民が参加して、自分たちの住む町の歩みとその名のいわれを調査、写真・地図つきで記述している。文字も大きく、読みやすく工夫されて、学術文献としても使用に耐える。
○明川忠夫著『小町伝説を歩く―救いと貴種―』[近畿民俗叢書13](初芝文庫 2003年4月刊)前著『小町伝説』に次ぐ小町伝承論である。病・難産・火災等から村人を救済する巫女小町が、都の美しい小町として伝承されていく過程を追っていく。それは小町の戒名であったり、瘡病みの小町であったりするが、いずれも、多くの伝承地を踏査する中で明らかにしようとしている。小野良実の伝承も、小町が貴種化された結果生まれたものであると考える。
【第5回例会】 |
ふるって投稿を
昨年来、京都新聞に『京都の地名散策』と題して、本研究会会員を中心にした執筆陣によるエッセーが連載されています。年末まで、さらに連載は続けられる予定であり、投稿者を募集しています。新聞に掲載されない場合も、単行本として刊行の際には収録することもあります。会員のみなさんはふるってご投稿ください。執筆ご予定の方は当研究会の事務局までご問い合わせください。
広報係 小泉芳孝に、お寄せ下さい。
◇ここに掲載の各ページの写真および記事の無断転載を禁じます。
◇著作権は京都地名研究会と素材提供者に帰属します。
copyright(C) 2002 chimai kenkyukai.
All rights reserved.